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民族が集う日常という場所

2014/1/3(金)

<米作の原風景を求めて ~少数民族と棚田~16>

旅行期間:2013/12/28~2013/01/04

今回の旅では珍しくゆっくりめな起床。朝早くからの移動や観光が多かったので今日は7時起きだ。もっとゆっくりでも大丈夫だろうが、昨日Belindaに尋ねた時に「8時のミニバスに乗ればいいんじゃない」と言われていたので、その言葉に従うことにしていた。

受付に降りていくとちょうど朝食の支度をしていた。チェックアウトは12時までというので、先に済ませて大きな荷物は預かってもらうといういつものスタイル。鍵と引き換えに押金を返してもらう。しっかり者のBelindaだが「あれ?私いくら受け取ったっけ?」と訊いてきたりするあたり、意外と抜けている所もある。

ミニバス乗り場に行き、牛角寨行きを探して乗り込む。乗客は10分もかからずに集まり出発。棚田見学で何度も通った道なので見慣れた風景だ。

1時間もかからずに牛角寨に到着した。運転手は親切にもジェスチャーで帰りのミニバスは向こうで乗れる、と教えてくれた。まぁ、見た目があまり変わらなくても日本人観光客だと分かるのだろう。やはりボロを着ていても滲み出る気品で分かってしまうのだろうか。いや、そんなことはないか。

バスを降りると人の流れでどちらが市場であるかはすぐに分かったが、まずは腹ごしらえ、だ。近くの食堂で麺類を食べることにした。市場で何か食べるだろうから軽めに済ませておいた。このあたりでは基本的に何を食べても美味しい。そもそも何か食べて不味いと思うこと自体滅多にない俺であるが。Belindaによるとマーケットは10時からとのことだが明確な開始時刻というものはないようであった。朝9時過ぎだが、既に店は一通り開き、客も集まってきているようだった。

マーケットはどこの国でもそうだが、ジャンルによって分かれている。入り口付近には家畜が並んでいた。中国ではよくある光景の鶏である。檻の中に入れられた鶏を購入した人は、背中の籠に入れて持ち帰るのだ。他には民族衣装を売っているエリア、日用品エリア、飲食コーナー、パンコーナー等々となんでも揃う。超市(スーパーマーケット)など無くても必要な物資は流通しているのだ。歩きながら写真を撮っていると、飲み食いしている一団から誘いをもらった。面白そうなのでお邪魔すると、肉やら野菜やら焼き鳥やらお酒までご馳走になった。当然英語など話せる人がいるはずもないのだが、観光客であることは分かるのだろう。というより一眼で写真を撮って歩くのは観光客だけだろう。

マーケットそのものはお昼頃に終わると聞いていたが、実際は昼過ぎも半分以上の店は営業していた。食べ物系の店や家畜やらを売る店は比較的早くに店を閉めるようだ。そして客もピークである10時~12時の時間帯と比べたらまばらになっていた。新街鎮に戻ってもバスの時刻まではまだ待たなければならないので、もう少しここに居ても良かったが、戻ることにした。新街鎮へ戻る人が多い時間帯の方が当然ミニバスも早く出発するはずであるからだ。短期旅行であれば特に時間には余裕を持ちたいのだ。ミニバス乗り場は来る時に降りた道を真っ直ぐ進んだ場所にあった。呼び込みが沢山いるので、捕まえて新街?と訊くと快く教えてくれる。ピークは過ぎていたので出発までには20分程待たなくてはならなかったが、走り出すと早いもの。14時頃には新街に戻って来てしまった。出発までまだ4時間半もある。まぁ良い、ゆっくり過ごすことにしよう。忙しく移動が続いたこの旅も一ヶ所くらいのんびりするのも悪くない。ましてやここは今回の旅の目的地なのだから。

結局、Belindaは忙しかったようで16時頃に一度旅行者を連れて帰ってきたと思ったらすぐに出て行ってしまった。俺は最後の夕食にと砂鍋米銭を食べに行った。昨日とは違う店だがこちらも美味しい。それ以外の時間はずっとアイリンと遊んでいた。元陽は居心地の良い町だったのでまた来ようと思うが、その頃にはアイリンはもう大きくなっているのだろう。子供が大きくなるのはあっという間だ。

18時にバスターミナルへ移動、18時と言えどもまだまだ明るい。意外と時間に正確な中国のバスなので早かったが、宿に居ても落ち着かなかったので早めにターミナルへやってきた。ここも今日で見納めだ。南米やアフリカ等と違って隣国なのでその気になれば再訪するのは容易なのだが、後ろ髪を引かれる思いだった。居心地が良い、一言で片づけるには勿体ない感覚。言葉が通じない国でのコミュニケーションは時として言葉でのコミュニケーションより深く心に刻まれる。日中関係があまり芳しくはないこの情勢下においても、個人と個人との関わりには国家間の悪感情が影響を与えるべきではないし、また個人と個人の触れ合いは当たり前のように生まれるものなのだ。旅の目的ではなく、副次的なものであったが、それを実感することのできた元陽滞在であった。世界遺産に登録され、これから益々国内外からの旅行者が増加すると思われるこの元陽。サパのように観光地化して欲しくないと思いつつも、それは時の流れであり、それならば一大観光地となって栄えてここの人々の生活を豊潤なものにする一助になれば、と思う。昆明に向かうバスから最後の棚田を眺めつつそんな事を考えていた。夕日を浴びて棚田は橙色に輝いていた。夕日スポットだけでなく、幹線道路から見る棚田も充分に美しいのだ。本来は生産の為の稲田であるのだが観光、いや鑑賞において価値を発揮するのだから、人の営みの積み重ねとは偉大なものだ。アフリカを旅していた時の感覚を少し思い出した。アフリカそのものが別に好きということはなかったがただそこに立っているだけでじわじわと内部から滲み出てくる高揚感。夕日が綺麗であれば、ただそれだけでその日が幸せであったと感じられる感覚。単純に自然の美しさでもなく、人類の偉大な活動の足跡でもなく、人が大地と共に生きる姿をそこに感じたからではないかと思う。

走り出して1時間、バスは南沙に到着した。ここで多くの乗客が乗り込んできた。と、同時に尿意を催していた俺は、ここでトイレに行かなければと決意した。停車している場所はターミナルでも何でもなく、ただの路上。運転手達は外に出て食事をしている。外に出てトイレの場所を尋ねてみたが、面倒臭そうに目の前の売店を指さす。どうやらトイレの場所を知らない感じだ。ここでトイレに行く人は少ないのだろうか。売店にはトイレはなかった。運転手の所へ戻って、トイレがなかった事を伝えると面倒臭そうに首を横に振った。俺がバスの中で失禁しても良いというのか?いやいや、それはまず俺自身が嫌だ。こんな時は野ションに限る。それこそアフリカではそこらへんの大地がトイレなのだ。中国の都市部は発展して建物だらけなので、適当なビルの裏に回り込んで用を足した。長期旅行者であった頃の感覚をまた少し思い出した。道は自分で切り拓くのだ。お行儀良く生きる必要はない。スッキリしてバスに戻ったところで出発。

ここからバスは就寝モードに。まだ20時だが、昆明への到着は午前2時なのだ。とは言っても、到着後明るくなるまでバスの中で寝ていられる。俺は8時のフライトなので5時頃まではバスで休み、そこから空港へ向かおうかと漠然と考えていた。ところが、いざ寝ようとしてもなかなか眠れない。やはり20時という時間は寝るには少々早すぎる。目を瞑って音楽を聴くことにした。が、相変わらず睡魔は襲ってこない。あとは帰るだけと言っても帰りに広州で5時間のトランジットがあり、そこで市内観光を敢行するつもりなのだ。まぁ、寝不足でもなんとかなるだろうが。ようやく眠くなってきたのは23時頃だった。間の悪いことにちょうどバスは停車し、トイレ休憩だと思しき運転手の声が聞こえた。眠っていた乗客は一斉に下車した。せっかく睡魔が襲ってきてくれたのだから、ここでトイレへ行くべきではない。ここで外へ出たら冷気で一気に目が覚めてしまう。そう考えた俺は後に自分の浅はかさを痛感することになる。10~15分の停車を経て再び走り出すバス。再度意識が混濁してきたと思った頃にバスはターミナルに到着。

「昆明!」という声が聞こえた。近くの座席に寝ていた西洋人カップルパッカーも下車するようだ。実はこの時俺は尿意に襲われていた。南沙で済ませたから大丈夫だと思っていたが、バスの中は想像以上に冷えたのだ。実際、なかなか寝付けなかったのには車内の寒さも一つの原因だったのだ。とりあえず様子を見ようと荷物を持ってバスの外へ出た。トイレに行かずに朝5時まで待機するのは無理だ。となればもう空港へ行ってしまうしかない。バスの到着に合わせてタクシーが待機しているだろう。予想に違わず車外に出るとタクシーの客引きがやってきた。周りを見渡すがターミナルの施設は閉まっている。これではトイレには行けないだろう。となると、空港へ行ってしまうしかない。早速値段を聞いてみた。「140元」空港から市内までタクシーで80~100元という情報をチェックしていた(情報によって異なる)。そして市内からここ南部バスターミナルまでは50元という情報も。そう考えると140元というのは決して法外な値段ではない。もちろん値切ればもう少し安くなるのでは、とも思ったが。

昆明の空港が24時間空港であったかは調べていなかったが、そう信じるより他になかった。昆明は元陽ほど寒くはないと思っていたが、意外にもかなり寒い。空港に入れなければ極寒の中で数時間待たなければならない。それを考えると憂鬱な気分になったが、まずはトイレに駆け込むのが先だ。人間不思議なもので、差し迫った懸念があると先の不安材料はどうとでもなれ!という心持ちになってしまうのだ。

他に選択肢もなく、客引きに唆されるままにタクシーに乗り込んだ。運転手席の周りは鉄格子で覆われている。治安悪いのだろうか。事前確認を怠ったことに気づき、悔やんだ。助手席に一人の男が乗り込んできたのだ。車を出す運転手。助手席の男はじっと俺の顔を見ている。まるで品定めをするかのように。猛禽類のような目をしたその男は30秒くらい俺を見ていた。これはまずいパターンじゃないのか?助手席に男が乗り込んでくるパターン。タクシー強盗の常套だ。まして乗り込んでくるなり俺の顔をじっと覗きこんでいた。やはりこんな時間にタクシーに乗って空港に行くべきではなかったか。ターミナルで適当に路ションして朝まで温かい車内で寝ているべきだったんじゃないのか。大きな荷物はトランクに入れてしまっていた。

※タクシー強盗に遭った時や料金をふっかけられた時に速やかに逃げられるようにと、トランクには入れず荷物を座席に持って座るのはセオリーなのである。 

が、最近の俺はなるようになれ、出たとこ勝負だと 開き直る事が多い。危険な傾向である。仕方がないので密かに精神を戦闘態勢にした。精神の状態が平常時では、いざという時に突然殴り合いは普通の人間にはなかなかできないのである。咄嗟の状況では身体が対応できないのだ。治安の悪い地域で夜道を歩かなければならない時にはいつも敵が突然襲ってくることを想定して、即殴り合いをできるよう心の準備をしている。同時に明らかにおかしな方向に向かわないか、注意して見ることにした。人気のない方向に向かい始めたら機先を制するのだ。もっとも深夜2時なので町中にもほとんど人の気配はなかった。さらに初めての土地でもあり、遠回りしているかも分からない状況であったが。15分も走ると昆明の中心地に近いと思われるエリアに到着した。ここで助手席の男が降りた。一気に緊張が解けた。どうやらただの相乗りだったようだ。しかし最初に30秒ほどじっと顔を見られた時はかなり警戒心を呼び起こされたが、今思えば相手も相手で相乗り客を警戒していただけかもしれない。

それから更に走ること30分。タクシーは昆明長水国際空港に到着。時計を見るとまだ3時前だ。約束通り140元を支払ってタクシーを下車。出発ロビーの入り口を指さして教えてくれた。・・・追加料金も言ってこなかったし、親切な運転手だったな。まぁ、海外では警戒し過ぎて困ることはない。ましてや初めての土地で真夜中の時間帯なのだ。さて、そんなことよりトイレだ。早く行かなくては漏れる。何のためにこんな時間に空港に来たんだ?全てはトイレに行くためじゃないか。空港の中には人がチラホラと居て閉まっているということはなさそうだ。しかしゲートを3つばかり押してみたが、どこも施錠されている。そうこうしているうちに尿意は既に耐え難いレベルにまで達していた。バスターミナルから耐えてここまでやって来たが、耐えるという漢の美学もどうやらここまでのようだ。意を決してUターンした。目立たない場所に移動して野ションを敢行するのだ。背に腹は代えられぬ。結局、南沙でも昆明の空港でも野、か。きちんとトイレで済ませられない不作法者は俺だったのだ。落ち着いた気分で再度入り口を探すと、一番奥の入り口だけが空いていた。この時間帯ではフライト待ちでベンチで寝ている人が多い。俺も空きスペースを確保し、6時まで眠ることにした。空港は思ったより暖かくなく防寒着を羽織ってホッカイロを衣服に着けてみたが、起きる頃には身体は冷え切っており、疲労が溜まっていた。

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