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世界最高峰の棚田

2014/1/2(木)

<米作の原風景を求めて ~少数民族と棚田~15>

旅行期間:2013/12/28~2013/01/04

Zililili….目覚ましが鳴り、血圧はどん底で、寝グセだらけの顔。なんだかなぁ。冴えないな。昨夜は寒かったのでシャワーも浴びずに寝てしまったのだ。2連泊というのはこういう時に都合が良い。昼間にシャワーを浴びることができるのだ。棚田観光、午前の部が終わったら戻ってきてシャワー浴びようか。昼間は結構暖かいし。5時に宿の前に集合なので15分前に起きた。この旅で三脚を使う時がようやく来た。むしろこの為だけに持って来たようなものだ。

荷物をいつものデイパックに詰めて外へ出る。寒い。昼間はあれだけ暖かいのに朝方はここまで冷え込むのか。カイロを持ってきて正解だった。昨夜の男女も降りてきた。どうやら2人とも参加するらしい。程なくバンが到着。昨夜のイギリス4人組も乗っていたのを見ていたので分かってはいたのだが、町中で車のチャーターを頼むと三輪タクシーだったりすることもあるらしいので安心。

すぐに車に乗り込んで出発。日の出まで2時間以上あるからか空を見上げると星で満ち溢れていた。大気汚染が深刻化している中国でもこのあたりは空気が澄んでいる。むしろ霧が出ていないことが有りがたい。

まずは多依樹(ドーイーシュー)へ。ここは日の出の鑑賞に適しているスポットなのだ。但し、昨夜Belindaがイギリス人組と話しているのを横で聞いたのだが、今の時期は陽が登ってくる方向が悪いのだそうだ。2月~3月がベストらしい。水が張った田に良い角度から光が注ぎ込み綺麗に赤く輝く確率が高いのだそうだ。さらに、雲海が立ち込めてくれれば言うことないのだが。多依樹は新街鎮から勝村方面へ走り、勝村から5km程先にある。新街鎮からは27kmの距離があるらしい。

ドライバーは中国語しか話せないのだが、2人のアジア人(確認したらやはり韓国人であった)は2人とも流暢に中国語を話す。俺にとっては彼らは完全に通訳であった。始めにドライバーが車を停めたところで、2人とドライバーが何やら話をしていた。女性の方(彼女の方が英語が上手)が俺に話すには、ここからは共通入場券を買わなくても棚田を見ることができるのだという。だが、2人は昨日既に入場券を買っていて、そちらの方から見たいようだ。俺は入場券を買うのをケチる気はないのでそっちから見ようと提案。2人とも安心したようであった。100元は決して安くないが、短期旅行でもあるわけだし大きくないお金をケチるより、少しでも綺麗に見える場所から鑑賞することの方が遥かに重要である。とはいえ、お金を節約したい旅行者にとっては入場券を買わなくても見られる抜け道を知っているドライバーの価値はなかなかあるのではないかと思う。

5分少々走って、正規の?展望台入口に到着。このあたりの棚田の見どころへの共通入場券を購入。2009年頃に展望台ができ、30元の入場料が必要となった。それが現在は100元の共通入場券を購入する必要がある。一ヶ所で良い、という人にとっては年々余分なお金を払わなければならないシステムになってゆく。世界遺産にも登録され、これからは値上がりしていくのだろうか。

展望台までは歩いてすぐだ。既に10人ほど三脚にカメラをセッティングしている。展望台は階層化されていて、好きな場所から撮影可能だ。まだ真っ暗なので棚田は見えない。噂通り中国人の写真家が集まってきている。レンズは一目で分かる超高級品だ。俺もそれなりに高いレンズを持って来てはいるのだが焦点距離600㎜のバズーカ砲は100万円以上の代物だ。そんなレンズではどのような絵が撮れるのだろうか。もっとも、写真の価値は描写だけではなく構図等その他の技術も重要だ。むしろ俺としては描写よりも構図に活路を見出したいのだ。スペックの差は技術で補う、ってね。もっともそんな技術もありはしないが。写真なんてものはプロでなければ自分の好きなように撮れば良い、所詮は自己満足の世界だ。

6時前に到着した時はまだ真っ暗で天に煌めく星もはっきり見えたが、30分も待つと星とは引き換えに目の前に広がる棚田がうっすら見えるようになってきた。明るくなると同時に少しずつ寒さも和らいできた。天気予報を見て予想していた通り、少々晴れすぎた感がある。棚田には水が張られているのだが、頭上の雲が赤く染まって、それを反射して赤く染まるのだ。全く雲がないと、晴れても却って赤く染まらないのだ。

7時頃にはかなり明るくなり、シャッターチャンスを迎えた。周りの写真家もある者は無心に、またある者は感嘆の声を上げながらシャッターを切っていた。やはりサパのそれとは特にスケールにおいて段違いだった。切り絵のような光景だ。長期旅行中に世界の絶景と呼ばれる場所は数多く見てきたが、ここの棚田はその中でもかなりの上位に入る。ウユニ塩湖を超えたと言っても過言ではない。

展望台は何層にも分かれていて、当然ながら場所によって全く見え方が変わってくる。角度も変わる。この棚田はハニ族が1200年かけて作ったと言われているがその根気には敬服するばかりだ。巨大な歴史的建造物が多くの人員を動員して建築されたケースは見てきたが、ここの棚田は1200年もの時間をかけて地道に作り上げてきたのだ。昨夜、Belindaが今の時期は太陽が昇ってくる方向が良くない、と言っていた意味が理解できた。高くまで山が連なっている方角から太陽が昇るので、その姿を現す頃には既に明るくなり過ぎていて、綺麗に写真を撮りにくいのだ。また、光が差し込む角度の問題もあって棚田に綺麗に光が差し込む図にはならない。とは言え、十分に満足できるレベルではあったし、この霧が発生しやすい時期には10日待っても棚田を見ることができなかった人がいることを考えれば満足すべきだろう。30枚も写真を撮っているとあたりは完全に明るくなっていた。

ここで2人の韓国人(男性の方はチャン様、女性の方はソヨンという呼び名が判明)と相談した結果、我々も撤収して他の見どころへ行くことにした。車に乗って移動したのは同じ棚田を別の角度から見ることができるスポット。ここにも展望台が設置されていた。そして民族衣装を着た子供を何人かの欧米人が写真を撮っていた。俺も参戦して写真を撮る。チャン様&ソヨンを追って写真を撮れるスポットへ移動。すると子供とその母親もついて来た。子供の写真を撮ったので手に持っているゆで卵を買えと言っている(ように見えた)。するとソヨンが通訳してくれたが、やはり「写真を撮ったのでゆで卵を買え」ということらしい。2元(≒35円)だった。お腹が空いていたのでちょうど良いし、ただチップを寄越せと言われるよりは断然良い。だが、ここもこれからはこういう観光客向けの商売をする人が増えていくばかりなのだろうな。

それから途中、棚田が良く見える場所で停まりながら覇達(バーダー)へ向かう。覇達は元陽の3大見どころの中でも最も規模が大きい。多依樹が朝日鑑賞スポットだとしたら覇達と猛品(モンピン)は夕日鑑賞スポットなのである。さて、棚田観光をするのは今日1日だけ。となると、どちらを昼に行ってどちらを夕日に訪れるかなのかを決めるわけだが、覇達は昼にこれから行って、夕日は猛品で見ることになるようだ。ということで早速移動。

途中、何ヶ所かで棚田を見つつ覇達に到着。受付でチケットに鋏を入れてもらう。覇達の棚田は元陽の中でも最大規模、言わば王様の中の王様なのだ(規模で言えば)。第一展望台はすぐに見えた。多依樹の棚田も素晴らしかったが、覇達のそれは圧巻の一言。規模が比較にならない。対象が広すぎて広角に撮影しても、その凄さが伝わらない程だ。望遠レンズに交換して撮影してみると今度はこの広大な棚田の全体像が伝わらない。まさにジレンマだ。

少し歩くと第二展望台がある。こちらの方が視界に樹木が入らないので写真を撮りやすい。また展望台そのものが段々になっているのも良い。この頃になるとチャン様やソヨンとかなり打ち解けてバカ話もするようになっていた。例えば、覇達でチャン様と先に車に戻ってソヨンを待っていたのだが、ソヨンがなかなか戻って来ない。この時、チャン様は俺をじっと見て「うんこ!?(しに行っている)」←日本語でとのたまったりするのだ。チャン様は英語は非常に苦手だが日本語については結構多くの単語を知っている。チャン様は昆明に住んでいてガイドの仕事をしているとのこと。その関係もあるのだろうか、変な日本語をやたらと知っているのも面白い。

15分頃待ってちょっと探しに行こうか、とチャン様と話していたらソヨンがやってきた。彼女もこちらを待っていたそうだ。再び車に乗って移動。棚田が見えるスポットで停止しながらやってきたのは青口哈尼民族村と呼ばれる場所。ここではハニ族が普通の暮らしを営んでいる。ここで一枚写真を撮ったらチップを要求されたので、観光地化されていると言えばされている。しかし、率直に言って取り立てて観光しなければならない場所でもないと思う。時間があるなら寄っても良いかな、程度だろう。午前中の観光はこれにて終了ということで、そのまま新街鎮まで戻ってもらった。

チャン様とソヨンは明日の昆明行きのバスチケットを買いに行くようだ。午後の部は16時に宿の前に集合なのを確認して、一旦解散。俺は宿でBelindaに感想を話し、昼食を食べに行くことにした。

元陽の名物として「砂鍋米線」がある。これは読んで字の如く米で作った麺を鍋でグツグツ煮たモノ、である。鍋焼きラーメンだと思ってもらえれば良い。これはおすすめ。米好きな人には是非食べてもらいたい。元陽にはあれだけの棚田があるのだから、米を特色としたローカルフードがあるのは自然な話だ。この「砂鍋米線」は元陽のどこのレストランにもあるわけではないので、情報としてまとめておきたい。      

**砂鍋米線を食べられる食堂**

新街鎮にある唯一の郵便局から通りを広場の方に歩いて行くとローカル食堂が並んでいるので、その中の写真の店で食べられる。ここ以外でもこの並びの小さな食堂では食べられる店が多い。観光客が多く訪れる広場の近くのレストラン等には置いていない。また、市場の方にも砂鍋米線を食べられるお店が幾つかある。

昼食を済ませた後は、俺も明日の昆明へのバスチケットを購入することにした。チャン様達と同じ朝のバスで行くのもアリだが、どうせならもう一日元陽で過ごす方が良い。朝のバスで昆明へ向かっても、夕方に到着して翌朝のフライトに乗るだけなのだ。それならば、寝台バスで昆明に向かい、そのまま空港へ行って広州行きのフライトに乗る方が良いだろう。幸い、明日は牛角寨(ニウジャオザイを浴びていなかったのと、ヒートテックを着ていて暑かったのでじんわりと汗をかいていたのだ。明け方はそれでも寒かったが、日が昇ってからは暑いくらいだった。

16時まで下でアイリンと遊んだりして過ごした。Belindaがいない時はアイリンがPCの前に座ったりもする。もちろん宿の仕事などは何もできないのだろうが、好奇心旺盛なお年頃なのだ。

お迎えは時間通りに到着。ここで一人ブラジル人旅行者も同乗することに。聞けば今日元陽に到着して明日ラオスに向けて旅立つとか。棚田の観光はこのバンに乗って下車し、そこからは歩いて宿まで戻るのだという。ということでそのブラジル人旅行者は早々に下車した。

彼と別れた後、我々はまず覇達へ。ここも夕日が綺麗なのだがまずは午後の風景を。日が差し込む角度が変わると景色も変わって見える。ちょうど結婚したばかりの夫婦が記念撮影に訪れていた。実に絵になる風景だ。

覇達を後にしてまた幾つか棚田を見ながら向かったのが猛品である。元陽の棚田3大見どころの最後の1つだ。ここは山間部を切り開いて棚田を作った場所である。広さは1133haあり、段数はなんと5000にも及ぶ。写真を見てもらえば分かる通り、棚田の高低差が大きく、上から見ると棚田のラインが非常に細く見える。山の裏に日が沈む為、日没時刻の前にサンセットの写真撮影を終えることになる。その為、1時間以上待たねばならなかった。それでも到着した時点で、展望台には多くの写真家が三脚を立てて既に場所取りをしていたのだった。良い写真を撮るにはポジショニングが大切、その為には人に先んじて動かなくてはならないのである。

日没になる前でも日が傾きかけてきた頃には、棚田は赤みを帯びた光を反射して微かに色づいていた。民族衣装を着た親子がやってきてしきりにポストカードを売りつけようとしてきた。母親が子供をけしかけてポストカードを売らせようとする様子を目の当たりにして複雑な思いを抱いた。子供の方は明らかに売りたくないのだ。俺にポストカードを差し出す。俺は要らないよ、と断る。すると子供は困ったように母親を見上げる。母親は母親でもっと積極的に売りなさい、と指示を出す。やっぱり子供の方が買ってくれるんだろうな、と思いつつも子供に商売の手伝いをさせることは万国共通であるし、物乞いをさせるわけでもない。むしろ世界で子供が小さいうちから家の仕事を手伝うことが多いのは当然であることも認識しているつもりだ。それでも何だろう、この違和感は。目の前で母親に仕方なく売り子をさせられている様子を見てしまうとなんだかなぁという心境になってしまうのだ。もっとも、子供が家の手伝いをするのは当然であるし、そう躾けられていると考えると決しておかしいこともないのだが。

さて、この猛品の棚田には展望台は大きく分けて2つある。入り口から上に登った所と下に降りた所(ココ)だ。チャン様とソヨンは昨日もここに来て棚田を見ていたとのこと。昨日は上の展望台に登ったが、距離がありすぎて(高すぎて)よく見えないから、こちらの下の展望台の方が絶対におすすめだと言っていた。俺は上の展望台を見ていないが、同意見だ。下の展望台でも充分に全景を見渡せる。ここでも十分に上から俯瞰した絵が見られるので、これ以上高い場所に行く必要がないのだ。山の向こうに日が沈む頃には棚田の方は既に日が当たらずに暗くなりつつあった。午後の日差しで棚田が色づく時間帯が一番おすすめである。

太陽が山の陰に沈んで見えなくなると、観光客も一斉に帰り支度を始めた。我々も撤収することにした。降りてきた階段を登る。これが結構辛い。展望台は10層以上にもなっているので、一番下の展望台から駐車場まで30分かかる。駐車場まで戻ると、ソヨンが「上の展望台も見る?見たいなら待ってるよ」と気を遣ってくれたが、既に日は落ちて(正確には山の裏に隠れて)いたし、上の展望台は距離が遠すぎて下の展望台より良い写真が撮れるとも思えなかったので、そのまま帰ることにした。

新街鎮まで再び約1時間の道を走り、20時前に宿に帰還。夕食はチャン様・ソヨンと一緒に宿近くの食堂で食べた。2人とはこの時に突っ込んだ話ができた。2人は付き合っているのでもなく、数年前の旅行中に知り合い、今回再会を兼ねて共に旅行しているのだという。チャン様が中国語を話せるのは、昆明に住んでいるので当然だが、ソヨンが中国語を話せるのはなぜかと尋ねてみると、旅行の為だという。世界を旅行してみたが、中国が最も魅力的な地であると、だから中国語を勉強したと言っていた。それについては同意見だ。世界を“一通り”は旅行してしている俺だが、中国ほどに旅行が面白いと感じる国はなかなかない。中国4000年の歴史は伊達ではない、か。料理もシェアしながら沢山注文できた。やはり旅中に他の旅人や現地人と一緒に食べるのは至福の時だ。宿に戻り、チャン様とソヨンとは別れの挨拶を交わし部屋に戻って休むことにした。明日はほぼ最後の観光マーケット散策だ。

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