15:40、エッサウィラ空港へ到着。
エッサウィラは、大西洋に面した古代から港湾都市として栄えた町。
漁港であり、ビーチリゾートでも知られる。15世紀にポルトガル人に
発見され、西アフリカ沿岸部の軍事・貿易の拠点として栄えた。
旧市街には、装飾豊かな城門や堀、モスクや聖堂、スークなどがある。
青空と白い町並みが美しいエッサウィラはモロッコ人憧れの町だそうだ。
メディナ(旧市街)は2001年に世界遺産に登録されている。
今回の旅ではフェズを外してエッサウィラを入れた。というのもフェズへ
行くとなると日程が厳しくなるというのも理由の一つだけど、細かい違いはっても
フェズはマラケシュと似た古代都市なので、ならば趣の違うエッサウィラを入れよう
と考えたのが大きな理由である。また、大西洋に沈む夕陽を見たい気持ちもあった。
エッサウィラ空港へ到着すると、そのままプロペラ機から降ろされた。そして
空港ロビーまで歩いて行け、とのこと。バスがないわけだな、歓迎歓迎。
というより一人の為にバスを動かす必要はないということか。
小さな空港なので2、3分も歩くと空港ロビーへ到着。
空港の建物も非常に小さい。それでも国際線の発着はあるようで、
入国審査を行っていた。俺はカサブランカで既に入国していたので、
フリーパス。先に通してもらい、空港を出た。
外には送迎らしき人々が多数。皆、名前やホテル名を書いた紙を持っている。
空港でよく見かける光景だ。今回は珍しく空港からホテルへの送迎を頼んで
いたので、自分の名やホテル名を書いた紙を探す。すぐに見つかった。
『HOTEL AL FATH』と書いた紙を持っている男が目の前にいたのだ。
早速、挨拶をして車に乗り込む。バックパックを背負っていると早くホテルへ
荷物を置いて身軽になりたい、と思うのだ。
車で走ること20分、海が見えたと思ったらすぐにエッサウィラの町も見えた。
遠目から港を飛び交うカモメも見える。まさにイメージ通り。町の駐車場で
送迎者を降りると、ホテルはすぐそこ。そしてホテルは海のすぐそば。
事前に調べて太平洋の海に面したホテルを探して予約していたのだ。
早速チェックイン、部屋に空きが結構あったので最上階の45ユーロの部屋を
40ユーロに値引きしてくれた。屋上のテラスからは町を一望できるし、想像
通りで満足。バスタブはなかったけど、ホットシャワーとトイレがあれば十分。
フロントの女性が「送迎の20ユーロを足した60ユーロを明日のチェックアウト
の時にお願いします。その時にパスポートを返しますね。」と言って鍵を
渡してくれたが、この鍵のキーホルダー?が随分とゴツい。ポケットに入らない
くらいでかいキーホルダーをつけなくても良いのに。
部屋に入って荷物を置いて10分休憩。長かった。長い一日だった。時差の関係で
一日が長いのもあるけど、飛行機に乗りモロッコまで来て、電車に乗り、タクシー
に乗り、今度は国内線に乗り・・・とかなり移動したので余計に長く感じたのだろう。
部屋から見えるのは太平洋。太平洋を見慣れている日本人としては、窓から見える
大西洋に少し感動。もっとも、パッと見て大西洋ならではなんてものはないが。
しかし、まだ一日は終わりではない。これからエッサウィラ観光をするのだ。
明日のマラケシュ行きのバスの予約もしなければならない。
ホテルを出て一旦メディナの入り口まで出た後、メディナを一周。フェズや
マラケシュと違い、規模も小さく迷路のようにもなっていないので気楽に歩ける。
やはりここでもモロッコ人によく話しかけられた。
良い方では、メディナの入り口付近でガイドブックを読んでいたら学生らしき若い女性に
「どこか探してるの?メディナはあっちよ。私に教えられることがあれば
何でも聞いてね。」
と話しかけられた。突然のことだったので「ありがとう。大丈夫!」と答えたが
すぐ後悔した。せっかくなので、いろいろおしゃべりすれば良かったのに、と。
それ以外でも、正面からすれ違い様に好青年から・・・
「こんにちは、日本から来たの?」
「そう、日本から来ました。」
「おぉ、東京?大阪?モロッコへは観光で?」
「そう!観光で。それから東京からです。」
「エッサウィラの後はどこか別のところへ行くの?」
「明日、マラケシュへ行くよ!それからサハラね。」
「いいね!モロッコを楽しんでね!良い旅を!」
「シュクラーン(アラビア語で「ありがとう」の意)!!」
すると彼は振り向かずに右手でグッと拳を作って振ってくれました。
かっこいいよ。爽やかだよ。こういうやりとりをするとなんか物凄く嬉しい
気持ちになる。せっかくその土地を訪れるんだから、自然や建築物を見るだけ
じゃなく、人と触れ合うのも大切だと思うのが俺。それができたからかな。
かと思えば、「チャイニーズ?コリアン?ジャパニーズ?」と声を掛けてきて
「アイム フロム ジャポン!」と答えたら物を売りつけようとしてきたり。
まぁ、これは商売だから否定はしないけど。
他には、ちょっとガラの悪そうな兄ちゃんがたむろしている前を通り過ぎた時
仲間とニヤニヤ笑っていたうちの一人が
「ヘイ、チャイニーズ?チャイニーズ!」
と声を掛けてきたけど、柄の悪そうな連中だったので
「ノー」
とだけ答えて通り過ぎようとした。しかし、しつこく
「チャイニーズ?チャイニーズ!」
と大声で呼びかけてくるので、
「ノー、アイムジャパニーズ!」
と答えた。それでもそいつはニヤニヤと笑いながら
「オー、ジャパニーズ!」
などと言いながらついて来る。そっちを見つつ足は止めず歩を進める俺。
なおもついて来ようとしたが、仲間の一人が
「まぁまぁ、ほっとけよ」
という感じでそいつの腕を引っ張って止めた。
・・・一体なんだったんだろう。まぁ、あまり好意的な対応ではなかったな。
喋り方や表情で相手が好意的かそうでないか、はある程度旅をしている者には
肌で感じ取れるもの。
今回の旅では「話し掛けられたら全て応える」というのをテーマの一つにしていた。
今までは明らかに大丈夫と思われる相手、あるいは観光客同士で道を尋ねたり
といったケースを除いて、現地人のちょっとあやしいと思われる人間から話し掛け
られても基本的に無視していたが、せっかく“ウザい”モロッコへ行くのだから
十分に味わうべきだ、という考えと初級旅行者から中級旅行者へステップアップする
為にも「話し掛けられたら最低でも最初の一言は応える」をテーマにしていたのだ。
海外で日本語で話し掛けてきたり「おー、ナカータ!」とか言ってくるのは大抵
あやしい奴(詐欺だったりスリだったり)というのが定説であるのは知っていたが。
散策しているうちに『Supertour』のチケットセンターに辿り着いたので翌日の
9:30発マラケシュ行きのチケットを購入。朝9:30までにココに来いとのこと。
寝坊しないようにしなければ。
ホテル近くの『ムーレイ・エル・ハッサン広場』は西洋人で賑わう広場だ。
ここはエッサウィラで最も賑やかな場所である。ここの雰囲気はまるでヨーロッパの
一都市であるかのよう。そしてここから港や海辺が見えるので行ってみた。
港では漁港らしく船が沢山見えた。カモメが飛び交っていた。頭の上がカモメ
だらけという有様で気を抜くと糞が降ってくるのだ。気を抜けない。そのまま
魚市場を冷やかしつつ歩くのがまた楽しい。エッサウィラの水温は低めなので
魚の身が締まっていて美味しいのだそうだ。今夜はやはり魚料理だな。
そのまま歩くと、今度はビーチに出た。西洋人やモロッコ人が海水浴を楽しんでいた。
どこにでもある光景。ビーチリゾートそのものだ。子供連れのイスラム教徒の母親も
海を楽しんでいた。もちろん、若者の集団も。ヨーロッパからの旅行者も。
違和感あったのが、警備をしていた警察官。砂浜なのに馬に乗っていた。
再びメディナ戻り、スーク(市場)を散策。地元民が利用する日用品・食料品エリア
と旅行者向けの土産物エリアに分かれている感じ。スパイススークの前を歩いた日
には鼻をつくようなツーンとした匂いがなかなか強烈。
呼び込みは笑顔で躱していたが、巧みなモロッコ人もいるものだ。
「こんにちは、日本人?」
「そう、日本人だよ。」
「ようこそ、モロッコへ。いつ来たんだい?」
「今日、着いたばっかりさ。」
「インシャラー(※)。サハラは行くか?」
「行くとも!それが旅の目的だから。」
「私はサハラのベルベル人の村の出身だが、これも何かも縁だ。うちで話そう。」
と言って家へ“招待”されました。かなりの人のモロッコ旅行記を読んで
家に招待されてミントティーをご馳走になった後、絨毯を買うよう迫られた
という類のものを幾つか見ていたので、そのパターンかな?と思った。
しかし、あえて着いて行った。今回の旅のテーマである「モロッコ人の懐に
入り込んで存分にウザさを味わう」を実行する好機だったので。
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※インシャラー(インシャ・アッラー)とは
神(アッラー)の思し召しのままに、という意の言葉です。
何か頼みごと(仕事や手続き・修理の依頼など)をしたときに、
「インシャラー トゥモロー」と言われるのですが、翌日になっても結局
出来ていなかった、という経験をした方も多いはず。「インシャラー」と言われると
「またか」と思ってしまいがちですが、もともとはもっと敬虔な意味のある言葉なのです。
イスラム教では、人の命はアッラーのもの。自分が明日生きているかどうかは
自分で決められることではなくアッラー神次第なのです。未来のことに言及するとき、
そこには必ず神のご意思が関わってくるわけです。イスラム教徒は、何かを頼まれて
「明日にはできるよ」という場合、必ず「インシャラー」を付けなければなりません。
「将来何になりたいか?」と聞かれれば「インシャラー ○○になりたい」と答えます。
「インシャラー」という言葉は本来敬虔なイスラム教徒が使う言葉なのです。
ところが、中にはやる気がなくて「インシャラー トゥモロー」などと言い、
結局できないままずるずると日にちが経ってしまうケースがあります。
外国人がとまどうのはこちらのケースであり、結局この少数の(?)ふとどき者のせいで、
「インシャラー」に対する印象が悪くなってしまっているのです。
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彼の家では、まず自己紹介から始まった。
ベルベルの大家族の中で育ったこと。昔はサハラで砂漠ツアーを主催していたこと。
モロッコやその砂漠ツアーの写真をいろいろと見せてくれた。また、絨毯を見せて
くれ、どうやって作るのか、といったことも教えてくれた。おまけに従兄弟を
紹介してくれ、大家族で店を営んでいるのだという。
その従兄弟は日本の歌知ってるよと言い、『鳩ぽっぽ』を唄ってみせた。
一方、俺についてもいろいろと質問。
日本のどこに住んでいるのか。仕事は何をしているのか。モロッコは初めてか。
モロッコには何日くらいいる予定なのか。モロッコではどこへ行くのか。
等である。
ミントティーもご馳走になり、ベルベル模様の銀細工のアクセサリー等も見せてくれた後・・・
「で、どれを買うんだ?」
「・・・・・・。(やっぱり)」
「このベルベル模様のアクセサリーなんか貴重だぞ。シルバーだ。」
「・・・・・・・。(別に欲しくないし)」
強いて言うならバブーシュ(モロッコ特製の革のスリッパ)は買おうと思っていたが
店を見回してみたが、明らかに置いていない。アクセサリや絨毯を取扱っている模様。
隣には西洋人が座って絨毯を見せてもらっていた。出口に大きく絨毯を広げていた
ふと目についたのがアラブ式短剣。大きなものから小さなものまであった。短剣は
『地球の歩き方』を読んでバブーシュと並んで記念に買っても良いと思っていた物。
しかし、大きいものだと空港のセキュリティチェックで引っかかる恐れがある。という
ことで、一番小さいものをチョイス。それからシルバーの中で一番気に入ったものも選んだ。
彼が値段を書いた。
1860DH
・・・。約23,000円。
高すぎる。
無論、値段交渉していくのでこの値段で買うことはないのだが、最初の提示がこれだと
どの程度まで下げられるのか不安になってくる。というか、どう考えてもボッてるだろ。
俺が値段を書く。
400DH
「これはユーロか?」
「いやいや、ディルハムだ。」
こんな金額ありえない、という表情で彼は線を引き、両方の値段を消す。そして再び書く。
1600DH
「差が大きすぎる。値段を書け。」
俺も書く。
500DH
まだまだ両者の値は大きく開いている。そして彼のラストプライス。
1500DH
迷った。かなり迷った。結局なかなか差が埋まらない以上、両者の中間金額でということに
なるだろう。それだとあまりにも厳しい出費だ。まだ初日なのでこの金額は出せない。
「ストップ。この金額だと難しい。こっち(短剣)だけだといくらになる?」
再び彼が値を書く。
960DH
(うーん、単純に半分か。)
200DHからスタート。
彼が再び値を書く。
800DH
俺もセカンドプライス。
400DH
彼のラストプライスは・・・
700DH
それに対して俺のラストプライスは・・・
500DH
その差は100DH
彼が提案してきた。「分かった。なら650DHまで負けよう。」
(なにィ!中間額の600DHじゃないのか!)
どうやら俺はアラブ式商法を甘く見ていたようだ。
「ダメだ。中間の600DHにしよう。」と言った。さらに
「この四色ボールペンをつけよう。それでどうだ?」と追い打ち。
ところが・・・
「いや、630DHだ。600DHなら、さらにそれ(俺の腕時計)かそれ(俺のサングラス)を付けろ。」
ここで最終結論を迫られた。30DHの差だ。約500円程度。
この腕時計はヨドバシカメラで1,000円で買ったもの。サングラスは何千円かしたものだし、
何より後で訪れる砂漠での必需品だ。どう考えても腕時計の方を出すべきだな。
と判断した俺は
「OK、600DHだ。」
商談成立。
彼は短剣を包装して俺に渡した。そして、俺は彼に600DHを支払った。
「時計もだ。」
あぁ、そうだったな、と腕時計を外して彼に渡す。
「ペンは従兄弟に渡すんだ。」
えぇ~、ペンも持っていくのかい!
俺はてっきり「ペンではなくて腕時計」だと思っていたが「ペンに加えて腕時計」ということ
のようだった。
強欲なベルベル商人に対して既にイラッとしてきていた。
話の間で事あるごとに“インシャッラー”と言うことにもなぜかイライラが積もっていた。
店(家)を出ようとしたところで彼が後ろから声を掛けてきた。
「良い取引だった。インシャッラー。私は幸せだ。おまえも幸せか?」
ブチッときた俺は
「うっせえぇよ!タコ!」
と捨て台詞を吐いて彼の店(家)を後にした。
・・・今では反省している。しかし
敗北感でいっぱいだった。分かっていて付いて行って、結局相手のペースで
事が運んだのが悔しかったのだ。甘くみていた。そして、腕時計をあげたことも
この時になって少し後悔し始めた。時間は携帯で確認すれば良いのだが、いちいち
ポケットから取り出して時間をチェックするのは結構面倒なのだ。
さらに、充電しなければならないという問題もある。
今回の旅は毎日移動するし、宿も分からないので毎日充電できる保証もないのだ。
自分の迂闊さを感じながら、大西洋が見える北稜堡の展望台へと歩いていった。
まずは大西洋へ沈む夕陽を見よう。それで気分も変わるはずだ。
モロッコ幻想紀行【4】 ~カモメ舞う町~
2009年6月17日