マラケシュへ到着した俺はバスから降り、荷物を受け取った。
長距離移動を終え、開放感に満ち溢れた他の乗客への嫉妬を禁じえなかったが
まずこれからどうするか決めなくてはならない。それも迅速に、だ。
1.日本大使館にパスポートの再発行を依頼
2.ホテルへ連絡してパスポートを送ってもらう
3.自分でエッサウィラへパスポートを取りに行く
ガイドブックで調べたが、パスポートの再発行は日本大使館へ行かなくては
ならない。その為には日本大使館のあるラバトまで行かなくてはならない。
おまけに再発行に必要な写真もない。パスポートのコピーなら持っているが
それでは飛行機に搭乗できないだろう。よって、2か3の方法しかない。
それにしてもパスポートを無くすなんてどこの間抜けだろ、なんて思っていた
が、まさか自分がそうなってしまうとは。今回の旅の前に冗談で「そろそろ
大きなトラブルに遭遇するかも」と思っていたけど、現実となってしまった。
元来、初めての事にはかなり慎重であるが、慣れてきたら注意力散漫になって
しまう傾向があるのは分かっていた。分かっていたのにやってしまうこの間抜けさ。
熟慮の末、一旦エッサウィラへ戻ることを決意。予定では明日から2泊3日の
砂漠ツアーに参加の予定だったが、マラケシュを周るのであれば、1泊2日の
ものに参加するしかない。もしくはマラケシュ観光を削るか。
砂漠ツアーを1泊2日にするのとマラケシュ観光を削るのを比較してみたが
やはり砂漠は妥協できない、という結論に達した。マラケシュも面白いけど
今回の一番の目的は砂漠。1泊だとザゴラになってしまう。どうしても
メルズーガの大砂丘を見たい!
決まった。やはり明日から2泊3日のメルズーガツアーに参加するため、今日
これからエッサウィラへ戻り、再びマラケシュへ帰ってくる。これしかない。
マラケシュは夜のフナ広場が一番の目玉なのだから、最悪それだけでも良い。
そう思うしかない!
となると、明日の砂漠ツアー申込みをできる時間にマラケシュへ戻らなければ
ならない。『Supertour』のエッサウィラ行きの時間を確認して、かなり待つ
ようならグランタクシーを利用するのが良い、とクスールボヤージュのAさんに
言われたのでまずは出発バスの確認。
次のエッサウィラ行きは・・・
14:45発
ダメだ。2時間も待てん。となると、グランタクシー乗り場か。
他の民営バスも都合良い時間のがあるか分からないし、何よりかなり時間かかる。
しかし、グランタクシーも人数が揃うまで待つので1時間くらい待つかもしれない。
バスターミナルにはタクシーの客引きがいるものだ。尋ねてみた。
「グランタクシー乗り場はどこ?」
「グランタクシー?どこに行きたいんだい?」
「エッサウィラ」
「エッサウィラか!ここから乗っていけるよ。」
と言って周りのタクシー業者の仲間を呼んだ。
(まただ・・・自分の客にしたいわけだな。)
注)モロッコでは都市間を移動するグランタクシー(乗合式)と主に市内を
移動するミニタクシーがある。後者は乗合式ではないが、頼めば長距離
も走る。要は長距離は高くなるので、何人かでシェアしようというのが
グランタクシーというシステムなのである。
「エッサウィラに行きたいんだな?」
「(一応、訊いてみるか)そう。いくら?」
「600DH」
「ん~~~~・・・分かった。では、往復なら?」
「900DH」
「(とりあえず交渉)600DHなら乗るよ」
と言ったら「話にならない」といった表情でみんな離れていこうとする。
あー、もうくだらない駆け引きしている場合じゃないか。今回はお金より
時間を優先するって決めたし仕方ない。タクシーチャーターするのが
一番時間を節約できるわけだしな。
「ちょっと待て!」
呼び止めた。
「900DHで良い。エッサウィラへ行ってマラケシュへ戻ってくる。それでOKだな?」
と念を押した。
後になって片道900DHだ、なんて言い掛かりをつけてくるかもしれないので確認。
「OK、それじゃ荷物を入れな。」とトランクを開けてくれた。
この交渉だって他のタクシー業者とじっくりやればもっと安く抑えられたかも
しれないが、とにかく時間がないのだ。それに、パスポートを取り戻すまで
不安な気持ちも消えず、精神衛生上も良くない。
900DHは約12,000円なので実に無駄な出費だ。60DHで来た道をこれから900DHで
また往復するのだ。そう考えたらやりきれなくなるので考えないことにした。
これは貴重な経験だ。これで旅人経験値が増えて、中級旅行者にレベルアップ
できるんだ。そう考えることにした。
「急いでくれ!2時間で行けるか?」
「2時間とちょっと・・・かな。」
「OK、頼む!」
バスで3時間の道のりである。随分と無茶な要求をする。我ながら少し感心。
エッサウィラへ向かって走り出したタクシーはマラケシュの街を出ると
120㎞のスピードで飛ばしてくれた。が、
「Full Speed , Please !!」
「Hurry up !! Hurry up !!」
と煽る俺。実に迷惑な客である。この時点で俺はある程度落ち着きを取り戻し
開き直って半ばヤケクソになっていたのだ。まぁ、モロッコ人と渡り合うには
これくらいで良いかな、とか思ってわざとやった部分もあったが。
この時の俺の頭に浮かんだのは“ユーゴスラビアのピオニール体育館へ急ぐ松田”
の図だった。あの時の松田になりきっていた。
くっそぉー、必ず行くからな。待ってろよ!俺のパスポート!!
エッサウィラ往復、ということで彼はおそらく、エッサウィラ日帰りの予定が
寝坊してしまった観光客、と思っていたのだろう。マラケシュからエッサウィラ
日帰り、というのは定番なのだ。
ひたすら走ること2時間半、ようやく大西洋が見えた。エッサウィラだ!
駐車場へ車を停めてもらう。
「どこへ戻って来れば良い?」
「車はここへ停める。俺はどこかで昼寝してるよ。」
「OK、“すぐ”戻ってくるよ!」
「???」
普通の観光客ならせっかくエッサウィラに来たのにすぐまたマラケシュへ
向かって出発などしない。俺は忘れ物を取りに来ただけ、とは言ってなかた。
弱みを見せればつけこんでくるかもしれない、そう思ったからだ。
モロッコではそれくらい慎重であった方が良いことを学んでいた。
『Hotel AL FATH』へ駆け込んだ。
息を整えていると、フロントの奥に座っていた女性が俺を見て驚いた。
今朝、チェックアウトの対応をしてくれた女性だ。そして
「パスポート!!!」
やはり俺にパスポートを返してなかったことに気づいていた。
「そうなんだよ。パスポートを。」
「こっちよ。」
金庫に鍵をかけてしまってくれていたのだ。早速、開けて渡してくれた。
嗚呼、俺の可愛いパスポート。
ひとりぼっちでよく待っていてくれたな。
もう一時たりとも離さない!! これからはずっと一緒だ。
「マラケシュから戻ってきたの?」
「そう・・・。マラケシュからね。」
まだ息が切れている。
「電話くれれば届けさせたのに!」
「それも考えた。でも・・・。」
「これからまたマラケシュへ行くの?」
「ああ、すぐにマラケシュへ戻るよ。」
「マラケシュからはどうやって戻ってきたの?」
「タクシーをチャーターしたんだ。」
「いくらかかったの?」
「・・・900DH」
彼女はタメ息をつき申し訳ない、という顔でハグしてきた。
黙ってハグし返す俺。
「・・・。ごめんなさいね。」
チェックアウト時にパスポートを返さなかったのは彼女のミスだ。
しかし、それを確認しなかったのは俺のミス。いつもの俺なら
怠らなかった確認だが、どこか気が緩んでいたんだろう。
旅慣れしている、という自惚れかもしれない。
「それじゃ、行くよ。あ、その前にトイレ貸して。」
「こっちよ。」と案内してくれる。「けど、先にパスポートを仕舞って!」
仰る通りだ。すぐに首かけの貴重品入れにパスポートを仕舞った。
トイレから出た俺に
「これを持って行って!」と1.5リットルペットボトルの水をくれた。
「サンキュー!メルシー!シュクラーン!」
と三ヶ国語で返事すると、再びタクシーへ走り出していた。
不思議な連帯感だった。共に何かを成し遂げたかのような。
本来なら旅程を1日無駄にして、無駄な出費を強いられたのだが、なんだ
この清々しい気分は。もちろんハグしたからではない。
イスラム教では女性は肌を露出してはならない等、戒律が厳しいのに
ハグなんかしても良かったんだろうか、などと余計な心配をしていた。
軽々しくイスラム教徒の女性に手を出すと、父親が斧を持って襲って
くる、という都市伝説もあるほどだ。彼女は既婚者だったのだろうか。
それともハグくらいはどうってことない?
タクシーの運転手は駐車場にいた。
「OK、出発しよう!マラケシュだ!」
「そうか、ちょっと待ってくれ。飲み物を買ってくる。」
売店へ行き、すぐに戻ってきた。彼も運転しっぱなしは疲れるだろう。
が、900DH分の仕事はしてもらう。
「実は、昨日エッサウィラに泊まったんだけど、パスポートをホテルに
忘れたんだ。それで取りに戻ったわけさ。」と事情を説明。
「おぉ、それは大変だったな。」
彼もようやく事情が飲み込めたようだ。
時刻は15:50、今からマラケシュへ戻れば宿探しと砂漠ツアーの申込みは
十分間に合う。光明が見えてきた。
「それじゃ、行ってくれ。いざ、マラケシュ!(本日2回目の)」
マラケシュへの道はさすがにもう見慣れていて、景色を楽しむ気にもならず
持参した小説を読んでいた(2回目)。
再び、マラケシュへ到着。タクシーを降りた目の前には、フナ広場があった。
モロッコ幻想紀行【6】 ~パスポートを取り戻せ!~
2009年6月19日