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ゲバラの意志を継ぐ者たち

最近の若い人には分からん感覚だと思うが、俺の頭の中は全学連世代だ。
平たく言えば「オレはおやじ」ってことだ。
よって「もっとも成功した社会主義」とも形容されるキューバには
ある種の期待があった。
現代において社会主義やら共産主義というと「独裁」やら「全体主義」
やらそういったキーワードと結び付けられることが多いだろう。それは
歴史の側面として事実である反面、社会主義や共産主義を包摂的に理解
できているとは言い難い。
まず、マルクス主義理論と20世紀に成立した共産主義国家は大きく乖離している。
マルクス主義をかい摘んで説明すると、資本主義の成熟段階の後、資本主義が持つ
矛盾が大きくなりやがて共産主義へと移行する、というもの。
ところが、20世紀に成立したソビエト連邦を初めとする共産主義国家は
ほとんどが資本主義を経ずに封建制度から一気に共産主義へと“進んで”しまった。
それは“革命家”が資本家打倒の為に止むを得なかったと言うべきか歴史の必然
であったと言うべきか、ここでは論を差し控える。
そして共産主義の中でも考え方は様々あるが、スターリンの「一国社会主義論」と
トロツキーの「世界革命論」との対立が有名だ。レーニンはトロツキーを後継者と
考えていたが、彼の死後ヨシフ(スターリン)が権力争いに勝利し、トロツキーを
追ってしまった。そのトロツキーはメキシコに亡命したが暗殺者によってその生涯を
閉じることになった。
マルクスの提唱した共産主義を解釈すると、「世界革命論」を個人的には支持する。
そうでなければ共産主義は成立しえないからだ。
「各国のプロレタリアートよ、蜂起せよ」という言葉に代表されるように、
共産主義思想そのものが「国家の枠を超えたプロレタリアートの連帯」という
概念とは切っても切れない関係にある。一国でやろうとしても経済が成り立たない。
もしくは限界がある。
現実を考えてみても、資本主義世界の盟主米国は共産主義国家に対して
(それ以外の敵対国家に対してもだけど)経済封鎖を実施して物資の供給を絶つ
という戦略を常に用いている。これでは共産主義国家は成り立たない。共産主義国
から資本主義国へ亡命者が相次ぐのも無理はない。誰だって物が豊かな方が良いからだ。
なので社会主義国家が崩壊したから資本主義が正しかった、というのは誤り。
なるほど確かに社会主義国家(あれも本来のあるべき姿ではないが)は崩壊したが
資本主義国家もガタガタになっている。現在の米国を見ればその有様がどれだけ
歪か分かろうというもの。ユーロの崩壊も時間の問題だ。日本の姿は斜陽そのもの。
資本というものはある所に集まる。富裕層は益々富み、貧乏人はより貧乏になる。
これは21世紀に入ってからの投資の実態が良い実例だ。ウォール街でも労働者の
デモが起きるようになった事実が資本主義の問題を物語っている。
蓋し、個人的考えとしては現在の人間では社会主義は成立しないと考えている。
結局のところ、競争原理が働かないと努力しないのが人間だからだ。よく勘違い
されるように共産主義=結果の平等ではない。共産主義も“能力に応じて差をつける”
のだが、資産の個人所有が出来ないのは人々の労働意欲を削ぐのだろうな。
そもそも社会主義は「性善説」に立たないと成立しない。俺は元来人間の黒い面の
方に着目してしまう。よって、俺と社会主義の親和性は高くないのである。
ちなみに俺は大学時代にプラトン哲学(政治)を研究し、それ以来「哲人政治」が
理想だと考えている。民主主義は衆愚政治に陥ると考えている反民主主義者だ。
閑話休題。
ゲバラは世界的に人気があるが、今時の若者の結構多くががその思想も理解せずに
エルネスト・ゲバラを信奉するのがどうにも腑に落ちない。単なるファッションなのか?
理解していて信奉するなら分かるんだけど、明らかにそうではないだろう。
1950年代とかあの頃の時代に生きた人間にとっては、共産主義革命がある種の
理想を追求する姿であったことは間違いない。当時においてはゲバラは理想を
目指す若者の象徴であったといえるかもしれない。革命戦士としての。
日本でも全学連や全共闘といった学生運動が盛り上がったように。
さて、キューバでも昨年10月だったか11月だったかに家の売買自由化が解禁された。
確実に社会主義的側面が薄まってきている、ということだ。
で、キューバ滞在初日。宿の近くのハバナ大学でハバナ大学の教員と知り合った。
日本から来たというと大喜びで握手を求めてきた。小一時間ほど立ち話をした後、
革命広場に行くと言うと付いて来いという。
付いていったらとあるレストランに入った。この時点で?と思ったのだが
フィデル・スカトロとゲバラが出会った場所というではないか。そこで夕飯を
食べることになったのだが、どうやら彼にとって馴染みの場所であったようだ。
結果として、店員2人にモヒートをご馳走してハバナ大学の教員とやらには
夕飯も奢ることになった。腹が減っていたので、俺が魚のフライを頼むと
「俺も食べたい」というようなことを言ってきた。俺のスペイン語が未熟なので
3割程度しか理解できなかったのだが、俺が払うってことだったようで。
結局、4人分のモヒート+2人分の魚のフライ(料理)を負担することになった。
締めて73CUCだ。実際のところ、俺に払わせる気だないうことは気づいていた。
ただ、どこかで彼がハバナ大学の教員であるというインテリゲンチャである
ことで信じたい気持ちがあったのだ。警戒心の強い俺にとってキューバ以外では
引っかからなかったはず。
俺が世界で最も嫌いな国は米国とイスラエルだ。それで大体俺の立ち位置が
理解できると思うが、キューバは米国に経済制裁されていることで、俺の中で
どこか同情的であると共に応援したい気持ちが常にあった。
キューバ人民=スカトロやゲバラの意志を継ぐ革命戦士、という幻想を
俺がどこかで勝手に抱いていた。ましてやインテリゲンチャなら尚更。
ところが実際はただの金の亡者だった。
食事をしている最中に、子供の写真を見せてきて「明日が誕生日だ」という。
あまりにも嘘臭いと感じたが、「お祝いにお金を欲しい」と言い出した時点で
呆れた。あまりにしつこかったので10CUCをやったところ、「20CUC欲しい」と
言い出した。もう侮蔑の感情しか湧いてこなかった。
食事を済ませた俺はCASAに帰ろうとしたが、ハバナ大学教員は電話で彼の学生
とやらを呼び出した。良い葉巻があるので見せたいと言い始め、取りに行った。
取れるだけ金を取ろうという魂胆が見え見えだったし、それ以上付き合うのも
時間の無駄だったので奴らを置いてCASAに帰った。
ちなみに奴がハバナ大学の教員ではない可能性も考えたが、テキストらしきものも
見せてもらったし、店員も彼がハバナ大学の教授であると言っていたし、
それは嘘ではないようだった。仮に店員もグルだったとしたらボッタくり価格で
あったはずだ。
ちなみに翌日もハバナ大学の学生に話しかけられて多少案内してもらったが
やはり喫茶店に入っていった。モヒートを飲んだが、支払いの段になっても
横を向いて払おうとしない。俺が2人分払うと「ありがとう」と言いやがった。
飲んでいる最中に子供の写真を見せてきた。最初に話した時点では未婚だと
言っていたが?会計後に「ガイドしたからお金が欲しい」とのたまう始末。
「ふざけんな、飲み物奢ってやっただろ」と言って別れた。
コイツだよ、こいつ。
$嫁探し世界旅 ~1/70億の奇跡~  【ショウ official blog】
勘違いないように説明すると、俺は観光客からチップを取ろうとする行為
そのものには否定的ではない。肯定的でもないが、まぁ生活の為だし仕方ない
だろうと思っている。ただ、この国がキューバであったという事実と彼らが
ハバナ大学の教員や学生というインテリゲンチャであったということ。
カストロやゲバラの革命の理想を引き継ぐべき者達だ。
それゆえに妙な期待感を抱いてしまい、いつもなら無視して終わるのに
無駄な出費を強いられる羽目になった。というかある意味分かっていた。
キューバのインテリゲンチャともあろうものが観光客から小銭をせしめる
ようなセコい真似を本当にするのか、と確かめたい欲求が強かったのだ。
断言しよう。キューバ人に革命の理想はない。
カストロやゲバラが抱いた理想の国は既にない。
ソ連崩壊後のキューバが観光業に力を入れて活路を開いたのは知っていた
けど、ここまで露骨にスレているとさすがにげんなりだわ。悪い意味で
「普通の観光国」になっていた。日本ではまだそれほどだけど、ヨーロッパ
あたりからの旅行者はかなり多かったし。
ロンプラのCUBA版のぶ厚さを考えてもかなり一般的な旅行先であると感じたし
キューバが国としてかなり観光に力を入れているのはお土産の豊富さや
ホテルやタクシー等旅行関係に携わる者の“慣れ”具合からも明らかだった。
これが俺にとって現代キューバの負の側面であった。
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