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イタリアの若者たち

部屋の中を整理していたら、懐かしいものが沢山見つかりました。
高校時代に通っていた塾(SEGというところ)は受験勉強より
アカデミック寄りなところがあって面白かったのですが
そこで作られていた冊子のコラムを抜粋します。
執筆者の若桑みどり氏はイタリア美術を中心とした美術史家
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この間、日本から二人のOLが遊びにきた。
彼女らが感に堪えたように言ったことは、
イタリアの男の子って素敵!
どうしてみんなこんなに綺麗なの!
そう、困ったことに私の知っている日本の留学生は
みんな一度はイタリアの男の子にいかれてしまう。
中には学生結婚していたのが、こっちに恋人ができて
離婚まで行ったのが、私の知っているのでも二人。
結婚したのが二人。結婚しないで子どもを作っちゃった
のが二人。無事に帰る女の子の方が少ない。
それはイタリア人が女たらしだからだ、というのが
一般的な言い草ですが、私はそれには多少異議があります。
彼女らが一体どうして、イタリアの男の子の方が
良くなったのかは、私は当人でないからわかりませんが
客観的に見て彼らが実に綺麗だということではないでしょうか。
その上、彼女らの話を聞くと、大抵は非常に思いやり
があって<人間的>なんだそうです。綺麗な男の子で
思いやりがあって人間的だったら、その反対の、汚くて
エゴで非人間的な日本の男より良いと思うのは自然ですよね。
その反対に、イタリアの女の子を選ぶ日本の男の子は
率で言うと少ないのです。選ぶ、というよりは選ばれる
男の子が少ないといった方がいいのかな。
最近、一人の日本の男の子がイタリア人と結婚しましたが
その男の子というのが、日本人には稀なくらい優しい
思いやりのある、しかもファッションにうるさい小奇麗な
男の子でした。
ここまで書いてきて、私の耳にはもうおじさん達の
轟々たる抗議の声が聞こえてきます。
何を言ってるんだ!男は顔じゃない!
男の値打ちは仕事だ!男の値打ちは金だ!
地位だ!家だ!土地だ!権力だ!
そうなのよね、まさにそれが嫌でたまらないんだよね、
日本の女の子は!家も金も地位も、ないよりはあった方が
いいに決まっている。でも、それが全てだ、というその
価値観から出てくる全ての行動様式や立ち居振る舞いが
もう我慢できないんですよ。
何よりも大事なことは、いい人間関係を作ってくれる相手
であること、幸福を一緒に追求できる相手であること、自分を
人間として扱ってくれる相手であることではないですか。
それに、そのおじさん達も、ブスにはキツいではないですか。
美人にはとりわけ弱いではないですか。女は金と地位で飼って
いけるなんて時代はもうとうに終わってしまったのです。
女も、おじさん達のようにブスが嫌いです。性格ブスは特に。
女も素敵な男性が実は好きなのです。これは人類の本能でしょう。
こうして、西欧人は綺麗な男性しか結婚できない時代が長く
続いたために、人種として総体的に綺麗になってきたのだと
私は信じています。今、日本の女の子たちは、大規模な
品種改良に乗り出しているのかもしれません。
それからこのことを言っておかないと一方的になるので
言っておきますが、イタリアの男性が日本の女性を好きなのは
イタリアの女性が一般的に言って非常に<強い>からです。
イタリアの女子学生は日本の女子学生とは次元が違うほど強く、
自我がはっきりしていて、誇りが高く、堂々としています。
まあ悪く言えば、みんなすごく偉そうなのです。
どんな馬鹿でも自分を偉いと思っているのではないかと、
私は思います。彼女らは背筋を伸ばして堂々と歩き、誰に
向かっても自我を主張し、みな鍛えぬいた手足を太陽で
ブロンズ色に焼いて、極度に短い髪か、あるいは溢れるような
ソヴァージュではだしにべた靴、ザイノを担ぎ、きつい目をして
堂々と闊歩しています。着ているものは、布切れ一枚みたいな
質素なものが格好良いとされています。大抵は黒か白です。
これを、よく焼いたかっちりした肉体に素肌でまとって、土台
になっている肉体が完全なプロポーションを持っていることを
誇示しながら歩きます。化粧は全くしません。
最高のおしゃれはその肉体のプロポーションです。
白い肌にぽっちゃりした起伏の少ない顔、いつも自我主張を
せず相手をたてる<かわいい>日本の女の子は、自信を失い
かけているイタリアの男にとって、百年前の夢を復活させて
くれるのかもしれません。
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俺もイタリアに留学しようかな(ぼそっ)

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