登場人物紹介
今回はグループ旅行となるので初めに登場人物を紹介する。
ショウ:トルクメニスタン旅行の起案者、事前手配を担当。トルクメではヤンギ・カラとダムラ村の訪問を熱望。
ノヴァ兎:トルクメニスタンメンバー、北朝鮮やブータン等の一風変わった国を好み、旅行してきた。トルクメでは首都アシガバードの風変わりな様子に期待。
イースト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、ウエストとシリアで出会う。トルクメではメルブ遺跡を最も楽しみにしている。
ウエスト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、イーストとシリアで出会う。トルクメではガスクレーターを最も楽しみにしている。
マリーへ
4/28(月)
一般にトルクメニスタンの見どころは「ガスクレーター(地獄の門)」「ヤンギ・カラ渓谷」「ダムラ村」だと言われている。これらはいずれも世界遺産ではない。しかし、トルクメでは世界遺産が3件登録されているのだ。いずれも文化遺産だが『クフナ・ウルゲンチ』、『ニサのパルティア王国時代の城塞群』、そして残る1つが、本日訪れる『国立歴史文化公園“古代メルブ”』遺跡なのである。だが、それらの世界遺産がいずれもトルクメニスタンの3大見どころに括られていないように、どれも“ショボい”と言われているのが現実なのである。今日はそれを確かめてみようと考えていた。
少々皮肉な物言いに聞こえるかもしれないが、トルクメでの訪問先を決めるに際して、各自の希望を可能な限り組み込もうとした。となると、自ずと自分は希望しないが他の人が希望した行き先というものは出てくる。自然、街歩き、遺跡、ショッピング、海、山、旅行と言っても好みは様々なのでこれは仕方がないことだ。
今回のメンバーはいずれも一人旅の人間で、バックパッカースタイルを好むタイプなので、スイーツ女子の旅行者が混ざるよりは比較的好みは近しいと言えるが、それでもやはり行きたい場所の違いは出る。各自に行きたい場所を3つまで挙げてもらったところ、希望する順に
ショウ:ヤンギ・カラ、ダムラ村、ガスクレーター
ノヴァ兎:ガスクレーター、アシガバード
イースト:メルブ遺跡
ウエスト:ガスクレーター、ダムラ村
という調査結果になった。ガスクレーターとダムラ村(カラクム砂漠)は確定として、残る1つがヤンギ・カラとメルブ遺跡で分かれていたのだ。当初予定していた7日間の滞在日程(実質6日間)で全てを周るのは無理だ、と現地旅行社に言われたのだが、国内線フライトを使用したい、とゴリ押しすることで何とかこの問題は回避できたという経緯があった。つまり、メルブ遺跡はイースト、ヤンギ・カラは俺だけが訪問を希望していた場所であったのだ。
とは言え、もちろん決まったからには楽しむのが旅行者。自分なりの楽しみ方を見つける術は心得ていた。
予定通り早朝に起きて早めに支度を終わらせ、ホテルのフロントでランチボックスを受け取り、ロビーで待つことにした。するとすぐにホテルの前にバンが停まった。時間通りで素晴らしい。今日は日帰りなので荷物が少なくて良い、というのが利点だ。撮影機材や寝袋を持って来ていて荷物が多い俺としては、荷物の預入れをしなくて済むというのは大きなメリットなのだ。朝の6時台なのであたりはまだ暗く、街灯によって照らされた白亜の街は、ややもすると不気味な光を放っているように見えた。緑色の街灯というのはやはり慣れないものがある。
この時間帯なので当然なのだが、交通量がほとんどないせいで空港にはすぐに到着した。前日の渋滞とは打って変わってスムーズな移動だ。国内線ターミナルでチェックインを済ませ、セキュリティも通過。あまり厳しくはなく、水をそのまま持ち込めた。小さな空港なのでゲートも2つしかない。40分程待つと機内への乗り込みが開始された。待っている間にランチボックスも食べた。これが小さく、開いている売店もない空港では時間を潰すにもちょうど良かったのだ。ランチボックスの内容はサンドイッチにリンゴというありきたりなもの。もちろん普通に朝食のブュッフェを食べた方が遥かに満足のできる食事になっただろう。腐っても5つ星ホテルなのだ。
機内に乗り込む時に目についたのが、大統領の肖像画が機内に飾られていたことだ。この国では大統領の肖像画は至る所に飾られているのだが、機内とはまた珍しい。記念に写真を隠し撮りした。実は最初に機内の様子を撮ろうとしてCAに止められていたのだ。その後、ランディングの際に機内の肖像画に気が付いた。と、同時に機内には結婚式用の衣装を着た男女も乗り込んできていた。彼らはマリーで結婚式を挙げるのだろうか。フライトの時間は約1時間。睡眠を取っていたらあっという間に着いてしまった。
ということで荷物を持って外へ移動。到着ロビーもとにかく狭い。が、運行本数を考えるとこれで十分なのだろう。到着ロビーを出ると何人かガイドらしき人間がいて、そのうちの1人が話しかけてきた。本日の我々のガイド、ムハンマドである。機内で見かけた結婚式の衣装を着ていた男女が到着ロビーから出てくると、あっという間に人だかりができた。とある外国人旅行者が写真を撮ろうとロビーから降りてくる2人にカメラを向けた途端、空港職員からお叱りを受けていた。当然ながら空港の撮影は禁止なのだ。あくまで新郎新婦を撮るのが目的でも、空港が写ってしまってはいけない。そんな様子を見ていたムハンマドが「こっちから撮ると良いぞ」とばかりに勧めてきたので、彼の勧めに従って別の角度から新郎新婦を撮った。
トルクメの民族衣装は魅力的だと思う。あの華やかさには惹かれるものがある。ムハンマドに帰りのフライトの時刻を尋ねられ、20:40の便である旨を伝えると驚いていた。確かにそうだ。この日の予定はメルブ遺跡観光のみ。実際、夕方頃のフライトで戻るものと考えていたのだが、20:40では時間を持て余すのではないかと俺も感じていたのだ。実際のところ、マリーにはメルブ遺跡だけでなくマルグッシュ遺跡もある。そもそも自分自身メルブ遺跡を希望したわけではなかったので、マルグッシュ遺跡を行程に組み込むように主張はしなかったが、1日で2つの遺跡を見て周るのも無理ではないのだろう。実際、某旅行会社の団体ツアーでは同日にメルブ遺跡とマルグッシュ遺跡を周る日程になっている。事前に旅行会社に言っていればマルグッシュ遺跡も周れただろうが、当日にムハンマドに言ったところで予定にない、と却下されることが予想されたので言わなかった。
メルブ遺跡にて
空港から車に乗り込んだ我々はそのままメルブ遺跡へ直行した。ムハンマドはトルコ出身のスンニ派イスラム教徒。一方、ドライバーはアゼルバイジャン出身のシーア派イスラム教徒だ。我々もそれぞれ自己紹介を行った。どうもウエストがムハンマドに気に入られたようだ。この後の行動がそれを裏付けることになったが。さすがはイスラム教徒、エロいな、とは言わないでおこう。
ムハンマドには前日にオレッグに託されていた手紙を渡したが、その時の反応が少々微妙なものであった。前日にアシガバード市内を観光した時の様子を話したのだが、そいつはロシア人のガイドだったのか、と訊ねられた際、口調に同僚ガイドに対する親しみの情のようなものが感じ取れず、よそよそしさが滲み出ていたのである。これは他のメンバーも感じとっていたので、思い過ごしではないと思う。ロシア人とイスラム教徒のしこりだろうか。中央アジアの大国に翻弄されてきた歴史を感じた。
さて、1時間も走る前にメルブ遺跡の事務所に到着。ここで入場料やカメラ代を支払う。メルブ遺跡は広大な土地に遺跡群が点在しているので、徒歩で周るにはかなりの時間がかかる。その点、我々は車で移動するので、その心配は無用だ。遺跡そのものにあまり興味がない俺であったが、見どころの大キズカラは写真で見ていた通りの装いであった。小キズカラの方は特に印象もない。それとスルタンサンジャール廟がメルブ遺跡の中の代表的な見どころだろうか。遺跡そのものは想定していた通り、何ら刺激を受けるところもなく退屈にも感じたが、観光に来ていたトルクメニスタン人のグループと出会ってコミュニケーションを取れたのが楽しかった。陳腐な表現だが、やはり出会いによって旅は彩られると言えるだろう。遺跡そのものに興味がない俺にとってむしろ現地人とのコミュニケーションの方がこの日のメインであったとすら言える。
ちなみに遺跡には飽きていると以前書いたが、全ての遺跡に興味がないわけではない。ヨルダンのペトラ遺跡なんかは十分に満足したし、リビアのレプティス・マグナなんかも訪れてみたいと思う。マチュピチュは、まぁそこそこといったところだ。マチュピチュで「まぁそこそこ」という感想になってしまう時点で、遺跡への興味がその程度だということがお分かりいただけると思う。歴史は非常に好きだし、街歩きも好きなのだが、考古学的なことにはあまり興味が持てないからだろうか。自然を眺めたり体感する程には楽しめない。
遺跡観光中に一つ興味深かった出来事があった。トルクメ人の占いおばさんに遭遇したのだ。彼女はウエストを見ると、おもむろに近づいてきて占いを始めた。彼女にはどうやらウエストの守護霊を見ることができるようだ。ウエストの過去について言及し始めたが、その内容が言われてみれば誰でもが「思い当たる」節のあるような内容ばかり。占いおばさんが「他に占って欲しい人はいるか」と訊いてきた時に、ノバ兎・イースト・俺が皆希望したのだが、いち早く名乗り出たノバ兎を一瞥し、「本気で家族を作る気がない人間は占いたくない」と告げてきた。イーストと俺は家族を作るつもりがあることを伝えたが、ノヴァ兎の一件で機嫌を損ねたようで、結局占ってはもらえなかった。どうやら我々には信心深さが欠けていたようだ。
マリー観光
メルブ観光を終えた一向はマリー市内に戻り、遅い昼食をとることにした。ムハンマドとこの後の行動予定を相談したが、博物館を見学したいというイーストと他3人が別行動を取ることになった。17時に博物館前でイーストをピックアップするという再合流計画だ。イースト以外の3人は、朝方ムハンマドと話したようにマリーのバザールを見学するのである。
遅い食事を終えて動き出した頃には既に15時を回っていた。バザール自体は一般的に午前中が活況になるものなので、店も(特に食料品を扱う店舗は)かなりが既に閉店してしまっていたが、それでも歩いているだけでもコミュニケーションを楽しめるのがバザールというものである。ウエストは何でもソツなく楽しんでいる印象があったが、ノバ兎はあまりこのような現地人とのコミュニケーションは楽しめないのだろうかと感じた。見ている限りでは、積極的に話すこともなく、淡々とついて来ているように感じられたのだ。昨日のアシガバード市内観光とはテンションがあまりに違う。もちろん、旅の楽しみ方は人それぞれなので構わないのだが、決して安くないお金を払っているので多少なりとも気にしてしまうのだ。特にこの旅行を企画した立場としては。
ムハンマドはウエストを男子禁制の場所に連れていったりと、相変わらずウエストを連れ回していた。それを良いことにこちらも単独行動で好きなように動けた。人と一緒に動くのはどうしても気を遣ってしまうので、移動はともかくとして観光は一人が好きなのだ。旧ソ連系の国ではありがちなのだが、トルクメニスタン人も結構シャイで写真を撮らせてくれない人が多い。イスラム教徒という理由も少なからずあるのだろうが、恥ずかしくて嫌だという人が多いのは経験で分かる。当然、ロシア語で覚えている数少ない言葉「写真を撮らせてください」と使ってはいるものの、それだけではなかなか写真を撮らせてもらうまでは難しいものがある。
バザールの中には結婚式に特化した建物があった。その中ではウェディングドレスを始めととして、結婚式関連のアイテムばかりが売られているのだ。トルクメ人の結婚式に対する思い入れの大きさを実感した。なんでもトルクメ人にとっては子供にド派手な結婚式をあげさせる事が最大の贅沢なのだとか。トルクメでは伝統的な文化が色濃く残っていると感じた。現在の“独裁体制”も伝統的な文化を奨励している。その最たるものが、トルクメ人女性の髪型だろう。皆、髪を後頭部に盛ってスカーフで覆っている。ちょっと極端かもしれないが、フリーザの第三形態といったら想像できるだろうか。そして、あの髪型で未婚と既婚とを見分けることができるのだという。未婚女性は三つ編みを2本結って小さなスカーフを着けている。既婚女性は三つ編みを1本に結って大きなスカーフを着けている、とのこと。
いずれにしてもトルクメでは初婚年齢が早い。18歳から20歳頃に結婚する人の割合が男女でも高いようだ。バザールで出会った若い女性に年齢を尋ねられて答えたが、その次に子供が何人いるのかという問いに「子供はいない。結婚もしていない。」と答えたら大層驚かれた。「その年齢なのに結婚してないの!?」という驚きが口調からも表情からも伝わってきた。30代後半で未婚、というのはトルクメではかなりのレアケースなのだろう。次に飛んできた質問が「なぜ結婚しないの?日本には美人はいないの?」だったのはなかなか面白かったが。育った環境による影響もあるのかもしれない。もしトルクメに生まれ育っていたら今頃はとっくに結婚して子供がいたように思える。もちろんトルクメが富の再分配に関しては国家体制としても熱心で生活しやすいという面もあるのだろうが、最大の理由は選択肢の数ではないかと思う。どこの国にも言えることだが、田舎の小さな村ほど若くして結婚し、子供の数も多いという事が一つの傾向としてある。都市に住めばやりたい選択肢も多く視野に入ってくるし、結婚しなくても生活していける、という側面があるからだ。
観光しているとあっという間にイーストをピックアップしに行く時間になったので、後ろ髪を引かれつつもバザールから撤収することとなった。俺はバザールやスークといったローカルの市場でなら丸一日過ごしていても苦にならない。下手な観光地よりずっと楽しめるのだ。現地の生活を垣間見られる場所でありのままを眺めているのが好きなのだ。
車で博物館へと向かうと、遠目からもイーストの姿が見えた。博物館の前のベンチに座って本(ガイドブックか)を読んでいた。あの様子から察するに、結構待っていたのだろう。そこからもう一ヶ所観光した。マリーの教会だ。教会ということで分かる通り、トルクメにはキリスト教の住人も少なからずいるのだ。考えてみればイランにもアルメニア教会があったし、ただでさえ東西の物資や文化が行き交うシルクロードなのだ。所謂イスラム教国家の中にもキリスト教徒が住んでいるのは珍しくない。ましてやトルクメには多くのロシア人が住んでいるのだ。もっともこの教会がロシア正教のものかどうかは分からなかったが。
空港からアシガバード帰還
最後の観光を終えて、ムハンマドは「もうマリーにこれ以上見るべきものはないよ」と言い、我々を空港へ送ってくれた。空港に到着したのが18時頃だったので、まだチェックインも始まっていなかったが、仕方ない。マリーには他に見るべきものがもうないのだから。空港のベンチで座ったり横たわったりしてひたすら待つ一向。1時間ほど経過した頃、うたた寝しているとノバ兎が起こしてくれた。どうやらチェックインが始まったようだ。が、アシガバードに帰ってから食事をする時間はないので空港で食べることにする。といっても小さな売店と営業していなさそうなカフェがあるだけだ。商品を物色しているとスタッフらしきお姉さんがやってきた。この店で選択肢と呼べるのはソーセージだけだった。何種類かあるソーセージの中からお姉さんが薦めるのを選んだ。
「このまま食べて大丈夫?」
と訊ねたら、どうやら調理してくれるとのこと。空港の売店で買ったソーセージを調理してくれるとは!なかなか馬鹿にできないサービスだ、マリーの空港。ということで飲み物も併せて色々と購入した。ウエストがバザールで買ったナンやケーキも一緒に食べようとしたが、さすがにお腹いっぱいでナンだけ食べるのが限界。食材を購入するところから調理してくれるというこの売店での夕食は意外と満足できるものだった。
我々が食事を終える頃、ちょうど空港職員らしき男性が呼びにきた。早くチェックインを済ませろという事らしい。チェックイン後はセキュリティを通過して待合室で待つだけ。やはりここでも1時間以上待ったが、この空港では他にすることもないのでなかなかに苦痛だ。話し相手がいるだけマシで、これが1人だったら・・・どのみち待つしかない。バスや鉄道といった陸路移動より空路の移動を嫌いな理由の1つが、空港での待ち時間があることだ。何もせずに待つという行為に苦痛に感じてしまう。もちろんトータルで考えたら陸路移動の方が時間かかっているのだが、常に移動していることで退屈さを感じないでいられるのかもしれない。
搭乗時刻になったので、いつものように歩いて機体へ乗り込む。アシガバードの夜景を俯瞰するように見るのが楽しみであったが、実際のところ空港周辺にはコレといった夜景は見られなかった。かと言って、ある程度滑走路に近づくまでは高度が高すぎてよく分からない。ドバイのように遠目からでも分かりやすくターゲットを認識できるわけではないのだ。緑色におどろおどろしくライトアップされた街の姿を上から眺めたかったが仕方ない。
アシガバードの空港に到着するとヴォロージャが待っていてくれた。そのままバンに乗り込む、夜の首都を走りホテルへ戻った。夜は交通量が非常に少ないのでほとんど止まることがなかった。明日の集合時刻の事を心配していたら、案の定レセプションにメッセージが届いていた。7時にランチボックスを用意してもらえ、7時半に出発であるとのこと。9時のフライトなので妥当なところだろう。部屋に戻るとシャワーで汗を流し、お互いの部屋を借りて夜景撮影に興じた。部屋は通路を挟んで逆方向を向いているので、バルコニーから見える景色は全く異なるのだ。イースト&ウエストの部屋からは街の景観が、ノヴァ兎&俺の部屋からは公的機関の立派な建物が見える。街の景観だが、常に色が変わるライトによって照らされる不気味な色(特に紫色)の夜景がこれまた珍妙な空気を醸し出していた。