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首都への帰還、そして各々の旅へ

目次

登場人物紹介

今回はグループ旅行となるので初めに登場人物を紹介する。

ショウ:トルクメニスタン旅行の起案者、事前手配を担当。トルクメではヤンギ・カラとダムラ村の訪問を熱望。

ノヴァ兎:トルクメニスタンメンバー、北朝鮮やブータン等の一風変わった国を好み、旅行してきた。トルクメでは首都アシガバードの風変わりな様子に期待。

イースト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、ウエストとシリアで出会う。トルクメではメルブ遺跡を最も楽しみにしている。

ウエスト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、イーストとシリアで出会う。トルクメではガスクレーターを最も楽しみにしている。

最後のアシガバードへ

5/2(金)

目が覚めた。寝袋に包まっていたが暑かったのだろうか、チャックを少し開いていた。外はもう明るくなっていたが朝の村を散歩しようと思い、カメラを持ってユルタの外に出た。イーストの姿は見えなかったが、彼の寝袋は置いてあった。やはり昨夜は外で寝たのか。さぞ気持ち良いことだったろう。砂漠だが、今くらいの季節であれば夜中でもそれほど寒くはならない。ましてや寝袋があるのだ。おそらく彼は例によって朝の散歩と日の出撮影に行っているのだろう。

昨日は南側の方を散策できなかったので村の南端まで行ってみることにした。やはり北側より住居がまばらで主要な施設もこちら側にはないように見えた。すれ違う村人と挨拶を交わす。朝だけに少し警戒している風にも感じられた。

村の南端まで歩き、戻ってくる時に昨日もよく遊んだ子ども達を見つけた。しばし話をしていたらユルタにおいでと誘われたので、お邪魔してみた。ユルタの中は我々が宿泊しているものとほぼ同じ。まぁそんなに変わるわけもないが。ちょうど朝ごはんの準備をしていた。ナンを薄く引き延ばして油で揚げる料理だ。子ども達より先に俺に渡してくれた。こういった心遣いは本当に嬉しくなる。勝手に押しかけてきている旅行者に対して、親切に対応してくれると、こちらとしてもいつまでも旅行者に対して同じように接してもらいたいと考えてしまう。つまり、ちょっとしたことでも良いのでお返しをしたいのだ。だが、コレ!という何かをできるわけでもない。チップを欲しがる文化?は根付かせたくない。そういう意味では飴をあげる程度なら良いかとも思ったのだが、せっかく持ってきていた飴は大きな荷物の方に入れたままだった。荷物の奥底の方に沈んでいるはずだ。面倒臭いので取りに行く気もない。つまり、飴を持ってきた意味が無くなってしまったが、こういったことをよくやってしまう俺である。

我々のユルタの方ではおそらく朝食の準備をしていると思ったが、こちらのユルタでの生活を眺めているのが楽しくまた朝食も用意してくれたのでこのままご馳走になることにした。我々のユルタは反対側なので朝食はこちらのユルタでいただく旨を告げた。

しばらくユルタでくつろいでいたが、車のメンテや荷物を積み込む様子が見えた。出発が近いのだろう。そろそろ戻らなければ、と戻ってみると、皆は荷物も車に積み込んでいるところだった。ユルタに入って、急ぎ荷物を確認しながらまとめて車に乗せた。そんなに荷物を広げていないので、時間はかからない。宿泊させてもらったユルタの家族(長老を筆頭に)と記念撮影。ここを出発するというのは、トルクメ観光を終えるに等しいのだ。そう考えると、6泊7日の行程も短かったなと痛感させられた。

村人に、いや村そのものに別れを告げ、車は走り出した。ここからは再び悪路をひた走る。目指すはアシガバードだ。ガスクレーターからダムラ村への移動で通った道より、明らかに道の状態は悪かった。ダムラ村に来る時もそれなりに車が跳ねることがあったが、今回の道はそれ以上でイースト&ノヴァ兎が乗った車は途中の砂丘でスタックした程だった。普段、車酔いすることはあまりないのだが、この悪路はさすがに多少酔ってしまった。ウエストは車が跳ねた拍子に頭を天井にぶつけていた。

9時に出発した車が休憩で停まったのは14時過ぎになっていた。小休憩はあったが売店で飲み物を購入して休憩できたのはここだけだ。むしろようやく売店のある場所まで戻ってきた、と言えるだろう。そこからは道も平坦になり、走るにつれて風景も都市のそれになっていった。ふとある衝動に駆られて確認した時には、既に同行していた別の家族の車の姿は見えなくなっていた。別れの挨拶もできないのは味気ないが、これもまた旅。生きていればやがてどこかで会うこともあろう。

最後のアシガバード滞在

既に馴染みとなったThe Grand Turkmen Hotelに戻ってきたのは既に16時を回っていた。オレッグと共にチェックインを済ませる。最後のチェックインだ。いつものように朝食をランチボックスにしてくれるよう頼んだ。5つ星ホテルの朝食を1回くらい食べてみたかったが、こういう日程なので仕方ない。オレッグは明日またガスクレーターに向かうようだ。仕事だから当然とはいえ、忙しいことだ。我々にとっては念願のガスクレーターも彼にとっては日常的に訪れる場所なのだ。オレッグは我々と一緒に旅をした、と言っていたがまさにそうだ。ガスクレーターで過ごした日の酒盛りで、かつてカタール人だったかクウェート人だったかをガイドした時にある種の差別的扱いを受けたと言っていた。話の詳細は忘れてしまったが、一緒に食事をしようとしたらおまえはガイドなんだから混ざるなみたいな扱いを受けた、といった内容であったかと思う。もちろん金銭のやりとりが発生している業務であることは言うまでもないので、仕事としてきっちりやってもらわなくては困る。一方で、仕事だからとビジネスライクに対応されるのも、それはそれで味気ないものがあるのだ。当然ながらあまり馴れ馴れしくされるのを好まない人間もいることだろう。もっとも我々バックパッカースタイルの旅を好む人間としては、なるべく深く語り合いたいという思いを少なからず持っている。そういう意味ではトルクメンバシの夜から3日連続で酒盛りをして語り合えたことは一つの異文化交流であり、それもまた旅だったと言える。特に日本人にとってはロシア人は一般にあまり良い印象を持たない人間が多く、俺のようなロシア文化圏愛好家は少数派なのだ。オレッグ、一癖あるがなかなか面白い男だった。

我々は、一旦部屋で休憩した後少しアシガバードを散策し、夕飯を食べることにした。明日はイースト&ウエストのドバイへのフライトが6:20、俺とノヴァ兎のイスタンブールへのフライトが7:40と差があるのだが、空港へは一緒に行くことになり、4時30が出発なので早いのだ。つまり、早めに夕飯を済ませて寝たいわけだ。

17時にロビー集合ということになり、俺は余ったトルクメニスタンマナトでお土産の購入を計画。ホテルに併設されているお土産屋を物色していたら、トルクメ風のマトリョーシカがあったので購入。どのマトリョーシカにもありがちな作りだが、中を開けると小型のマトリョーシカが入っていて、その中にはさらに小型のものが、と5段階の大きさで入っているのだ。これとポストカードを購入。皆はカラクム砂漠へ出発するまでの間に郵便局で購入していたそうだが、俺はダウンしていたのでここで買った。種類が限られていたが、アシガバードの近未来都市風のものを選択(というよりショボいのが多く、消去法にならざるを得なかった)した。切手を貼ってホテルのロビーに渡せば出しておいてくれるとのことだった。有り難い。

ホテルを出た一向は、ノヴァ兎が欲しいという日本語版のルーフナーマを求めて本屋を目指した。ルーフナーマというのは、初代大統領サパルムラト・ニヤゾフが著述した哲学・歴史研究論文だ。これはトルクメニスタン国民の精神(ルーフナーマ)と位置づけられ、毎週金曜日はルーフナーマを読む日とされているのだ。興味深いのは公務員試験や自動車運転免許の試験にもルーフナーマの内容が出題されるという事実。これは嫌でも勉強せざるを得ない。途中、大統領府や第二次大戦の戦勝モニュメントなど警備が厳重なエリアを抜けて目的の本屋に辿り着いたが時すでに遅し、19時閉店とのことだった。40分も過ぎていたのでこれは仕方がない。事前に閉店時刻を調べていれば寄り道せずにここを訪れるということもできたのだが後の祭りだ。ルーフナーマそのものは別の場所でも買えるのだが、この本屋には日本語版が売っている可能性がある、というのが探していた理由だ。ノヴァ兎は大層残念がっていたが、彼は5年後を目途に放浪生活に入るようなので、その時が来たら再びトルクメニスタンを訪れることも可能だろう。今度はトランジットビザを取得し、自由に動けるはずだ。主要な観光場所は今回訪れているので、アシガバードをじっくりと味わうこともできるだろう。もっとも、現在と変わっていなければ、トルクメニスタンに滞在できるのは5日間まで、ということになるが。

仕方がないので、夕飯を食べられるレストランを探しつつホテルへ戻ることにした。先ほどお土産を買いはしたがまだマナトの残りがかなりある。できることなら、あのお土産屋で使い切りたかった。マナトを持っていても使い道は全くないのだ。両替すら難しい。お土産屋が閉まるのは21時。途中、スーパーマーケットで配り用のお菓子等を買ったりもしつつ、結局ホテルの向かいのレストランで夕飯を食べることにした。正確には他に選択肢がなかった。なかなかレストランを見つけられなかったのだ。

入ったレストランは内装の豪華な一見高級っぽい店だったが、価格は意外とリーズナブル。あくまで「意外と」というレベルだ。決して安いわけではない。ましてやトルクメの物価水準を考慮すると。それでもまだマナトには余りが出た。というより、正確にはウエストに預けている共有資金を各自に戻した分を考慮しての話なのだが。レストランではビーフストロガノフを注文した。ロシア語圏には大体これが置いてある。今回の食事、残りのマナトを使い切らなければ、という意識が働いたのか、全体的に注文が多かったようだ。各自スープとメインディッシュを注文し、それに加えてサラダを2つ注文してシェアしたので残してしまった。残すくらいなら多く注文するべきではなかったのだが、思ったより分量が多かった、というのもある。

支払いを終え、急いでホテルに戻る。21時でお土産屋が閉まってしまうからだ。だが、ホテルに戻った時には既にお土産屋の入り口には「CLOSE」のプレートが掲げられていた。あまり客も訪れないであろうし、定時より早めに閉まることは容易に想像できた。葉書は買ったものの切手がない俺は手紙を出せない。これは大問題だ、と思っていたらウエストが1枚恵んでくれた。残りのマナト使い切りについては・・・断念するより他なかった。とはいえ、この時点ではウエストが共有財産を管理していたので、まだ余りを人数割して返してもらってはいなかったのだが。

後日談だが、結局余りのマナトを返却されたのは、帰国して集まった時の飲み会であった。我々は部屋に戻り、明日の出発に備えることにした。1人がシャワーを浴びている間にもう1人がパッキングをする、という流れ。出発が朝の4時30分なので起きるのは4時過ぎだ。なんだかんだで写真のデータの整理やバッテリーの充電(なにせ2泊3日の間は全くできなかった)を行っていて、寝たのは結局深夜1時頃になってしまった。トルクメニスタンでやり残したこと、正直ないとは言えない。もう少しアシガバードをじっくり歩きたかったし、バザールを散策して写真も撮りたかった。ウズベキスタンとの国境付近のクフナ・ウルゲンチも訪れたい。だが、ガスクレーターとヤンギ・カラ、そしてダムラ村。トルクメの三大見どころをきっちり押さえ、世界遺産のメルブ遺跡も訪問できたので6泊7日では十分だろう。この国はトランジットビザは別として、自由旅行ができるようになればもっと観光客が増えるのは確実に思える。

中央アジアで観光国と言えばウズベキスタンというのは衆目の一致するところだと思うが、かの国の見どころとして挙げられるのは、ヒヴァ、ブハラ、サマルカンドといういずれもかつて栄えた都市というややテイストの似た場所なのだ。それに比べてトルクメは自然(ガスクレーターやヤンギ・カラ)、遺跡(メルブやマルグッシュ)、都市(アシガバード)と違ったテイストの見どころがある。その一方で、観光客が増えたら今の素朴で一風変わったトルクメが観光地テイストに変容してしまうのではないか、という懸念もあるのだが。いずれにしても、再訪したい国がまたできたことは確かであった

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