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砂漠の中の平和な村

目次

登場人物紹介

今回はグループ旅行となるので初めに登場人物を紹介する。

ショウ:トルクメニスタン旅行の起案者、事前手配を担当。トルクメではヤンギ・カラとダムラ村の訪問を熱望。

ノヴァ兎:トルクメニスタンメンバー、北朝鮮やブータン等の一風変わった国を好み、旅行してきた。トルクメでは首都アシガバードの風変わりな様子に期待。

イースト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、ウエストとシリアで出会う。トルクメではメルブ遺跡を最も楽しみにしている。

ウエスト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、イーストとシリアで出会う。トルクメではガスクレーターを最も楽しみにしている。

砂漠の夜明け

5/1(木)

月が変わって今日から5月だ。だが、旅行中は大した変化に感じられない。月の移ろいより非日常にいるという差異の方が大きいからだ。目が覚めたきっかけは、昨日と同様にイーストの朝日を見に行かないか、という誘いの声だった。俺にとって彼は目覚ましと化している。テントの中にはノヴァ兎も戻ってきていた。昨夜テントの中に入ってきて寝るのを朧毛ながら覚えている。外で寝ていても問題ない程に暖かい季節であったが、やはりテントの中で寝る方が心地良いのだろうか。

ノヴァ兎は起き上がってテントの外へ出て行くようだったが、俺はそのまま休むことにした。昨夜見た通り、太陽が登ってきたとしてもその頃には既に明るくなっているのでガスクレのインパクトのある写真は夜でないと撮れないのだ。マジックアワーに対し、ブルーモーメントと言うが、日の出よりブルーモーメントであれば写真を撮るのに適しているかもしれない。しかし、おそらく辺りは既に明るくなっていて、ブルーモーメントの時間も過ぎているだろう。

という考えて今しばらく休むことにした。二度寝はしなかったが、テントの中でゆっくり過ごした後、外に出ると辺りはすっかり明るくなっており、闇夜に浮かぶガスクレの姿はどこにもなかった。遠目に見えるのはぽっかりと空いた穴だけ。近づけば燃えている様子も見えるのだが、明るい中では遠目に見ると穴しか見えない。こうなると昨夜の様子までもが夢であったのか現実であったのか疑わしく思えてくる。いや、もちろん現実に間違いはないのだが、その拠り所となるものは記憶という曖昧なものしかないのだ、写真を除いては。

クレーターの方では多くの人の姿が見え、彼らの歓声が上がっていた。どうやらS遊旅行者の団体ツアーの方々が再び観光に来ているようだ。彼らのテントは小高い山の反対側にあり、我々のテントの位置からは見えない場所だ。

イーストの案で、紙飛行機をガスクレに飛ばし、熱による上昇気流で紙飛行機が上に舞い上がる、という実験をしようという話になった。以前、そのような企画をTV番組で見たことがあるらしかった。それを今やろうと言うのだ。

が、まずは朝食が先だ。ということで、一同はキャンプ地に戻る。朝食は当然ナンがメインになってくるのだが、ジャムやバターを塗るだけで美味しい。そしてフルーツジュースが胃に染み渡る。こうした朝食はテント泊の醍醐味だ。そしてそんな朝食は残すところ、今日と明日の2日だけなのだ。その翌日にはトルクメを出国することになる。早いものだ。もちろんトルクメ後にはイスタンブール、そしてモスクワを観光するのだが、トルクメを終えた後は気分的にやや消化試合に感じる部分が出てくることは容易に想像できた。

朝食の後、4人で紙飛行機を折り、飛ばす練習をした。子供の頃にあれだけ折った紙飛行機だが、いざ折るとなると結構忘れてしまっているのだ。単に紙飛行機を折るだけならできるのだが、よく飛ぶ形態にするのが難しい。中には間違えてやっこさんを折ってしまう者もいた。

ガスクレ観光を締め括るのは、もちろん紙飛行機飛ばし。不法投棄とも言う。もっとも紙なのですぐに燃えてしまうだろう。水や泥のクレーターでは投げ捨てられたペットボトルを散見したが、ここのクレーターでは燃えてしまうはずだ。結果は・・・満足のいくものではなかった。僅かに1回だけ上昇気流で少し舞い上がったが、それ以外はほぼ直線的に飛んでクレーターの底に落ちるか、飛びもせずに落下していったか、のいずれかであった。紙飛行機を飛ばすというのもなかなか難しいのだ。

やや締まらなかったが、我々はガスクレに別れを告げ、次の目的地へと向かうことにした。いつ出発するか、そういったことは自由にさせてくれるオレッグ。ナミビアの時は限られた時間でプログラムをこなすので、常に急かされていた気がする。移動距離や密度が違うので単純に比較はできないが。ダムラ村へはひたすら東へと進んだ。舗装された道はなく、ひたすら砂漠の中を進むのだ。道なき道というわけでもなく、一応道らしきものはある。が、時折り悪路の中を進まなければならない箇所もあり、車が跳ねてウエストが頭を天井にぶつけたりしていた。

ダムラ村に到着

車で走ること約4時間、見晴らしの良い場所で停車。盆地の中には家が立ち並んでいた。あそこがダムラ村・・・!遠くに人影が見えたと思ったら、みるみるうちに大きくなってきた。こちらに向かって走ってきている。子供たちだ。中には手を振っている子もいて、歓迎してくれているのは言うまでもなかった。

「ハロー!」「ハロー!」

近づいてきて挨拶をする子たち。村や子供たちの写真を撮らせてもらう。こういうケースではありがちな展開だが、カメラに好奇心を示す彼女たちは今度は自分が撮る側に回ろうとする。汚れた指でべったりレンズを触ってしまうのはご愛嬌だ。

子供たちとしばし遊んだ後、オレッグがやってきた。再び車に乗ってダムラ村へと移動。とあるユルタの前に車を停車させ、そのままユルタの中へと入っていく一向。どうやらそのユルタが今晩宿泊する場所らしい。ユルタとは遊牧民の移動式住居のことである。原音だとユルトと呼ぶらしい。チュルク語圏ではいずれもユルタと呼ばれており、キルギスやウズベクあたりにもある。モンゴルではゲルと呼ばれているアレだ。実は、入ってみるまでは昼は涼しく夜は暖かいのかと想像していたが、実際全く涼しくはなかった。むしろ蒸す。そしてオレッグが言うには、この村では昼過ぎは暑いので皆昼寝をして休むのだという。そして涼しくなる夕方頃から再び活動を始めるのだとか。よって我々もそれに合わせて昼寝をすることとなった。その後は各自で村を散策して良いとのこと。写真撮影については許可をもらってからという当然のマナーを念の為確認しておいた。

正直暑苦しくて寝苦しかったが、移動の疲れもあってか横になってから割とすぐに眠りについた。それから再び目を覚ますと、イースト・ウエスト・ノヴァ兎はどこにもいなかった。すわ、寝過ごしたか!と思い時計に目をやると15時半頃だった。もう“シェスタ”の時間は終わったのだろうか。まだ早い気がするが外に出てみよう。この暑苦しいユルタに留まる理由はない。外に出てすぐ目に入ったのがノヴァ兎の姿だった。彼は砂丘を登っていた。我々がやってきた方角である。俯瞰的にこのダムラ村を眺めたいのだろうか。イーストの姿も見かけた。彼は近所を散歩していた。時折り立ち止まって写真を撮っている。ウエストの姿は見つからなかった。おそらく積極的に散策しているのだろう。俺はまず手近なところから攻めることにした。

ユルタのすぐ裏手でオレッグをはじめとするスタッフ軍団や一緒に行動している家族達が酒盛りをしていたので軽く混ざった。が、このメンバーとはおそらく夜に嫌でもまた酒盛りをすることになると思うので、村人との交流を図ることにしたのだ。すぐ横の家におばちゃんが3人歓談していたので挨拶を交わす。もちろん言葉は通じない。ロシア語かトルクメン語だ。ロシア語なら単語程度であれば僅かながら知っているので、勘で答える。こういう時は意外と質問の内容が決まっているので分かるものなのだ。「どこに住んでいるのか(何人か)」「年齢はいくつか」「結婚しているのか」「トルクメニスタンではどこへ行ったのか」といった質問である。身振り手振りも交えてくれるので大体理解できる。30分ほど話しただろうか。お礼を言って別れた。

もっとこの村を散策したい。とても居心地が良いのだ。それから村をぐるっと一周し始めた。とは言ってもこの村は谷底に南北に広がる形なので、ちょうど長方形のような形となっている。南側はやや閑散としており、北側の方が人口密度が高い印象だった。ということで南側は軽く歩くに留め、北側をじっくり歩くこととした。途中、すれ違う人に手を振ると向こうも手を振って返してくれる。あるいは向こうから手を振ってくる。これだけ小さな村だから旅行者が滞在しているという情報はとっくに広まっているだろう。一様に歓迎の気持ちを態度で示してくれるのは異邦人の立場からすると嬉しいものだ。

村の最北部エリアを歩いていたところ、座って歓談している人達がいたので近づいていった。その中に見知った顔があった。ノヴァ兎であった。彼は村の人々から歓迎されているようだった。村人に「おまえも座ってくつろげ」と言われたので混ざることにした。聞けばノヴァ兎は結構長く彼らと過ごしていたようだった。砂丘を登った後ですぐにこちらの方へ歩いてきたようで、招かれたのだとか。この家族にも長老的存在はいて、彼の自慢のバイクを見せてくれた。なぜかエンジンをかけて見せてくれる。きちんと動くんだぞ、というアピールだろうか。かと思いきや今度は鷹を見せてくれた。鷹を放し飼いにしているようだ。このあたりからも客人をもてなそうという心情が伝わってくる。自分達の生活を見せようとする姿勢だ。それもお仕着せがましくなく、「こういうものがあるんだよ」という感じで教えてくれるので嫌味っぽさがないのである。といいつつも、現地の旅行会社と提携していて、旅行会社から村にお金を支払っていて、このようにもてなしてくれるのかも、等と考えてしまったりもした。宿泊させてくれたユルタの持ち主の一家に対しては、結構そういうのあったりするんじゃないかとは思うのだが。まぁ、それであっても子供がお金やお菓子を要求してくるような環境じゃないだけで十分だ。居心地が良い。友好的に接してくれる。それ以上何を求めよう。

遠くに女性たちが水を運んでいる姿が見えた。その列の中に見知った顔があった。ウエストだ。やはり日本人が1人混ざっていると遠目に見ても目立つものだ。日も暮れかかってきていたので、ノヴァ兎と相談し戻ることにした。お気に入りのバイクを披露してくれた主に礼を言って戻る旨を伝えると、子供たちに戻る道の案内をさせてくれるようだ。まさに至れり尽くせり。宿泊しているユルタに戻ろうとして歩き始めたが、すぐ隣に学校があった。子供たちがこっちだよ、と招き入れてくれた。予想通り、学校にも大統領の肖像画が飾られてあった。トルクメでは機内にも校内にもどこにでも大統領の肖像画が飾られている。一方、教室内の設備は新しく、日本の学校の物と比較しても遜色ないと言って良いレベルだ。子供たちは我々のユルタのすぐ傍まで送ってくれた。いつも外国人観光客が来た時はこうやっているのだろうか。おそらくは長老の教育によるものだと思うが、素直で良い子達だ。LINEでいじめを行う日本の子供たちには無い素直さを持っている。俺にもし子供がいて、可能ならこの村で1年くらい育てたいものだ。勝手なイメージだが、ここでなら逞しく優しい子に育ちそうな気がする。

ウエストにはユルタのあたりで追いついた。なんでも途中で呼ばれてついて行ったら、水汲みだったとか。ここで暮らせるかを尋ねてみたら、とてもじゃないが無理、との回答。どうやらこの水汲みで相当懲りたようだ。そしてこの村では女性が働くようだ。男性が働かないといったことはないと思うが、労働している姿が記憶に残るのは女性ばかりだ。

ユルタに戻ってはみたものの、食事にはまだ少し早いようで、他のメンバーと互いの村訪問について報告会を開いた。ウエストが村の女性とお話していたら、一緒に来てと誘われ、ついていったら水汲みだった、という話で盛り上がった。ウエストにとってはかなりの重労働だったようで、毎日こんな事しなければならないのならこの村には住めないわ、と語っていた。現代人というものを感じた。イーストは村をぐるっと南端の方まで周り、その後は散策していたらとあるユルタに招待されたので、くつろいでいたとのこと。皆、思い思いにダムラ村を満喫できたようだ。

辺りが暗くなってきた頃、ユルタに入って夕食を待つことにした。夕食の準備は夕方から進められていて、日が暮れたらすぐに始まった。最後の晩餐というやつだ。明日はアシガバードに戻り、夕飯を食べるのだが、皆と食事を楽しむという意味では今夜が最後だ。明日はほぼ1日帰るための移動(そして宿泊)なのである。それにしても2泊3日というのは短い。初日の夜が馴染む為の晩餐だとしたら、2日目の夜は別れを惜しむ為の晩餐なのである。ダヤンチは今日も元気だ。

当然の如く、晩餐はウォッカから始まった。例によってロシア風の乾杯で始まる。そして乾杯は最初だけではない。何度か行うのだ。話が盛り上がった時や新たな参加者が来た時など、だ。日本語での「カンパイ」も行われた。オレッグとイーストやウエストは各国の社会情勢について語っていた。女性の社会進出についてだ。ノヴァ兎は今日も酔っ払いだ。だがこれは仕方ない。ロシア文化圏の飲み方はウォッカをぐいぐいと薦められるし、これを飲まないわけにはいかない。飲んでこそのハラショーなのである。当然、アルコールに強くない者にとっては厳しい戦いを強いられることになる。あるいはいっそ下戸だと称して最初から飲まない方が良いのかもしれない。俺もトルクメンバシでは不覚をとって、意識を失ってしまったのだ。かつてはお酒に強いと自信を持って言えたが、今はとてもじゃないが強いなどと言えない。

最後の晩餐に相応しく、料理の方も豪勢だった。昨日に引き続いてのプロフだ。昨日のプロフがウズベキスタン風だとしたら、今夜のプロフがトルクメニスタン風だとのこと。ナンも良いが、やはりおかずはプロフと食べるのが一番美味い。美味い食事とウォッカがあれば満足できる、そして語り合える仲間。仲間というのは、ユルタにいる全員、もちろんトルクメニスタン人もロシア人も日本人の別なく、だ。昨日に引き続きそんな夜を過ごしていると、時間はあっという間に過ぎていった。

実はこの夜は撮りたい写真があったのだが、飲んでいるうちにすっかり忘れてしまった。満天の星空のと一緒にユルタを撮りたかったのだ。おあつらえ向きにこの日の星空は素晴らしかった。酒盛りの途中、イーストが「外で寝る」と言いだして、皆で外に出た際に空を見上げたのだが、やはり他の砂漠と同様にこのカラクム砂漠でも今にも地上に降ってきそうな星空を楽しめた。だが、ウォッカに酔っていた頭は思考が鈍っていて、星空の中のユルタを撮る、という考えを思い出せずにいたのだ。結局この日もウエストが最後まで酒盛りを続けていて、真っ先に寝たノヴァ兎に続き、俺もユルタで寝袋に入って眠りについた。昼間はあれほど暑かったユルタの中も、夜になると冷えてくるのである。きちんと寝袋に包まって寝た。

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