モスクワ到着
5/5(月)
事前に調べていた通り、モスクワに到着するとやはり空はどんよりした雲に覆われ、雨は絶え間なく降っていた。気温も低い。4℃と表示されている。機内ではどれくらいの時間眠ったのだろうか。あまり正確には憶えていない。機内食を食べる時以外はほぼ眠っていた気がするが、そもそもがこのフライトはそんなに長時間ではない。イスタンブールを現地時刻1:55に発って、モスクワには現地時刻5:55に到着するのだ。イスタンブールがモスクワより1時間早いので、実際のフライト時間は5時間となるが、寝たのは3時間くらいだろうか。成田行きのフライトは20:00発なので、当然外に出る。というよりそれが目的でモスクワ経由のフライトを選んだのだ。入国の方へ進み、大使館で取得したトランジットビザをこれみよがしに見せつけた。別に見せつける程のものでもないのだが、ビザが必要な国ではなんとなくビザをきちんと取得していることをアピールしたくなってしまうのだ。
入国してロビーに出て外の様子を確認、やはり雨だ。それもすぐには止みそうにはない降り方だ。それ以上に寒い。この時期は晴れれば18℃くらいまで気温が上昇して過ごしやすいのだが、雨だとこの日のように4℃にまで下がるという非常に不安定な時期なのだ。観光には難しい。このような悪条件だが、たった1日しかないモスクワ滞在だ、無駄にはできない。空港で両替してから市内に向かう。物価の高いロシアなので10,000円分を両替することにした。ドルやユーロから両替する方法もあったが、それだと手数料を二重に取られることになる。円から直接両替できるのなら多少レートが悪かろうが直接両替に越したことはないのだ。
さて、空港と市内を結ぶ公共交通機関としてアエロエクスプレスなるものが通っている。これに乗れば35分程度で市内のベラルーシ駅まで行けるのだ。これができて随分と便利になった。以前はシャトルバスと地下鉄を乗り継いで行くしかなく、そのシャトルバスがモスクワの渋滞によって大きく遅れることで有名だったのだ。モスクワはヨーロッパで最も渋滞の酷い都市だと言われるが、シェレメチェボ空港からのバスが通るレニングラード街道は常に渋滞することで知られていた。もっとも、そのシャトルバスと地下鉄を乗り継いで市内へ出る経路が整備されたのも2004年からで、それ以前はローカルの循環バスと地下鉄を乗り継ぐしか市内へ出る道はなかった。よって多くの旅行者は高いお金を出してタクシーを利用していたのである。アエロエクスプレスは券売機でチケットを購入して次の列車に乗れば良いだけ、簡単だ。席は全席自由席。外を眺めてみるが雨は降り続いていて空は一面どんよりした雲に覆われている。今日はずっと雨だろう。
暖を取る
予定通り35分でベラルーシ駅に到着。ここで地下鉄に乗り換える。地下鉄の駅名はベラルースカヤ駅だ。ここから赤の広場を目指す。赤の広場やクレムリンといった中心地へは3つの駅からアクセスが可能だ。俺はとりあえずチアトラーリナヤ駅から行ってみることにした。単純に最短での乗り換えだったからだ。初めての街は地理感覚が分からない。まずは歩いてみるのが一番なのだ。外へ出た。意外にもほとんど観光客の姿を見かけない。イスタンブールの人混みは何だったんだ。モスクワの観光シーズンはまだ始まっていないし、この寒さにこの雨だから無理もないのだが。傘を差しながら写真を撮るのもなかなか厳しいものがあるので、少し雨宿りをして小雨になるのを待つことにした。
幸い、すぐ近くにフードコートがあった。物価の高いロシアにおいてこのようなフードコートの存在は非常にありがたい。この時点で時刻は10時過ぎだったせいか客の入りはまばらで、そのほとんどは現地の大学生らしき若者であった。他の旧ソ連圏を見た感想も同様だったが、かつての共産主義時代の面影はほとんどない。資本主義経済そのものだ。よくよく考えてみれば共産主義体制の崩壊から既に20年以上が経過しているのだ、西側資本が入り込んで根を張っていても何ら不思議ではない。ここではドリンクを頼んだが、目的としては雨宿りかつ外がかなり寒いので暖を取る、といったところだ。
グム百貨店
ドリンクを飲んた後で再び赤の広場の方へ向かったものの、相変わらずの寒さに打ちひしがれ、最初に観光するのを選んだのは赤の広場に隣接し、クレムリンの向かいに位置するグム百貨店だった。屋内の暖かさがこれほど有り難いものだとは。このグム百貨店は歴史のある建物で、帝政ロシア時代からの歴史がある。ロシア革命の時点でも1200もの店舗が入る巨大な百貨店だったのである。革命後のソビエト時代にはグムも国有化されたが、ソビエト時代においてもモスクワを代表する商店の役割を果たしたのである。百貨店の内部には過去の様子が写真で飾られていて博物館のように楽しめる。もちろん現在入っている店舗では最先端の電化製品等が売られていて、まさにデパートとしての様相を呈している。日系企業もSONYや東芝のショップを見かけた。西側の欧米系企業も多数入っている。かつて世界を二分した共産主義陣営の本拠地とも言うべきこのモスクワも冷戦が崩壊して20年以上経過した今は完全に資本主義社会の姿になっている。もっとも現在ウクライナ東部を巡って「新冷戦」とも呼ばれる欧米諸国とロシアとの対立が日増しに激しくなってきているが。グム百貨店では昼食を取ることにした。フードコートが何店か入っていたが、意外ときちんとしたロシア料理を食べられる店は少なく、アラカルト方式で選択することになった。ビーフストロガノフを食べたかったがメニューになかったのだ。
赤の広場とクレムリン
食事を済ませて他にすることもなくなったので、意を決して赤の広場へ。相変わらず雨は降っていたが、これ以上待ってもおそらく天候は回復しないだろう。傘を差しながら一眼で写真を撮るのはかなり不便なのだが仕方ない。泣く子と天候には勝てない。まずは赤の広場を歩き、聖ワシリー大聖堂へ。その名前は知らなくとも、玉ねぎ教会として形だけは覚えている人も多いかと思う。ちなみにこの教会の正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」という。内部は大したことないかなと思っていたが、意外に楽しめた。イコンのフレスコ画は言うまでもなく、イワン雷帝時代の展示物や17世紀の女性の帽子等ロシアの歴史や文化が好きな人は楽しめると思う。続いて赤の広場へ戻り歩いてみた。雨なので正直なところ散歩する楽しみも半減どころか3/4減なのだが、これで天安門広場とイマーム広場に続く「世界三大広場」を制覇したことになる。俺としてはやはりイマーム広場がその中でも好きだ。「世界の半分」は言い過ぎだとしても広場としての美しさは白眉であると思う。天安門広場や赤の広場はどちらかというとその美しさより存在に意義がある、といったところか。
続いてクレムリンの見学だ。このクレムリンがまただだっ広い。入場できる場所が何ヶ所かあるのでルートを考える必要がある。そして大きな荷物は入り口付近の預り所に預けておく必要がある。ちなみにこのクレムリンは「城塞」という意味で、ロシア各地に残存する。その中で最も有名なのがここモスクワのクレムリン、ということである。クレムリン内部はガイドブックで紹介されているので特に真新しい発見はなかったが、世界最大の口径の大砲は長年見てみたかったので、目的を果たせた。これと鐘の皇帝がクレムリン最大の見どころなのではないかと思ってしまう。実際、聖堂が幾つかあるのだが、あまりグッとくるものではなかった。つまらないわけではないが似たようなテイストのものを見る機会がこれまでにあったので斬新さももの珍しさも感じることのない予定調和であったというところだ。それよりはこれもモスクワの見どころの1つであるが、無名戦士の墓の方が印象的であった。ここはクレムリンそばのアレクサンドロフスキー公園にあるのだが、第二次世界大戦で命を落とした兵士を慰霊するモニュメントだ。このような“名も無き者”に目を向ける考え方が共産主義陣営には多いが、それはプロレタリアート革命がその根底にあるからだ。統治形態として様々な問題があるにせよ、そういった名も無き者の存在を軽視しないところにある種の共感を覚えてしまうのだ。もちろん、戦争によって最も被害を受けるのは一般市民なので、戦争そのものを起こさないことが最善の策ではあるのは言うまでもないのだが。
ここでモスクワの中心地の観光は終えることにした。時刻はまだ15時頃だったが、生憎の雨ということもあり、モスクワはハブ空港なので改めて訪れることもあるだろうと考えたのだ。その時には天候の良い時にここ中心地の再訪を含め、モスクワ市街をじっくり観光しよう。空港にはフライト2時間半前の17:30頃に戻ろう。逆算すると17時のアエロエクスプレスに乗れば良い。それまでは地下鉄の駅巡りをすることにした。
モスクワ地下鉄駅巡り
モスクワの地下鉄駅は美しいことで知られる。ある意味モスクワで一番の観光と言っても良いくらいだ。地下宮殿とも喩えられる装飾の豪華さは初めて訪れる者に新鮮な驚きを与えるだろう。ウズベキスタンはタシケントの地下鉄駅もなかなかだったが、モスクワのそれは遥か上をいく。なにせモスクワの地下鉄駅を観光するツアーが実際にある程なのだ。建て前としては地下鉄駅の撮影は禁止であるようだが、実際は観光客が写真を撮影したりするのは容認されているようだ。実際、俺も主に環状線で気に入った装飾の駅を見つけたら降りて撮影していたが特に咎められることもなかったし、同様に撮影している旅行者を何人も見た。とあるヨーロッパからと見られる旅行者はモスクワの地下鉄駅の写真集を持っていた。そんな写真集も売られているのか、と感心してしまった。モスクワの地下鉄駅はそれ自体が芸術品、と言っても過言ではないと思う。並みの美術館より楽しめる。
地下鉄駅巡りを終えた後は、再びベラルースカヤ駅へ移動。ここでスムーズに17時発のシェレメチェボ空港行きアエロエクスプレスに乗ることができた。この旅で最後の観光を終えた。あとはもう飛行機に乗って帰るだけ。空港へ向かう列車の中で今回の旅を振り返っていたが、やはりトルクメニスタンが目的地だったので、当然その印象が大きかった。前後に滞在したイスタンブール、トランジット観光となったモスクワも世界屈指の都市であり、観光資源に溢れている、なかなか贅沢な旅だった。イスタンブールにしてもモスクワにしても旅のメインになるレベルの都市なのだ。もっとも、俺はやはり美しい自然がその行程に含まれていないと満足できそうにないが。街歩きや遺跡も良いがそれだけでは物足りない。日常では見られない風景を探す、そんなスタイルが俺の旅なのだ。その中で現地人との交流が生まれればベターだ。圧倒されるような風景を見られても、現地人との交流がない旅でも満足はできないものなのだ。今回は改めてそれを痛感させられた。トルクメで最も満足度が高かったのがダムラ村であった事実がそれを裏付けている。
旅の終わり
シェレメチェボ空港に戻ってからは、イミグレとセキュリティを抜けた後、ラウンジでゆっくり休養した。この空港の難点はPriorityPassで入れるラウンジはターミナルFにしかなく、アエロフロート航空が利用するターミナルDへの移動にかなりの時間を要することだ。早足で歩いても15分くらいかかるのだ。最後の最後でフライトを逃したらみっともない。ということで少し早めにゲートに移動し、成田行き飛行機に乗り込んだ。
夜行便で前日あまり寝ていないこともあり機内食の時間以外はほぼ眠っていた。後ろの座席には話の内容からツアーを利用してヨーロッパを旅行していたと見られる50代の夫婦が座っていたが、全く英語を話せずにCAとのコミュニケーションも潤滑には進んでいなかった。パックツアーを利用する層はこのような人達なのだな、と改めて実感。パックツアーの利用者は減り、個人旅行が増えていると思っていたが、パックツアーの需要もなかなか根強いものがあるのだな。
成田空港への到着は予定通り10:40であった。イミグレや税関は問題なく通過し、行きの時には予約と支払は先に済ませていたものの乗らなかった京成の格安バスに乗った。預ける荷物はバスの前に置いておくシステムなのだが、不安に駆られてバスの中から見ていたら、何と俺の荷物を積み込まないので、慌ててバスから降りて荷物入れに入れるよう伝えた。東京シャトル、900円と安いだけのことはある。100円高いがTHE アクセス成田の方が座席間隔は少し広いし対応も良いように思われた。ただ、こちらはチケット売り場が空港内のブースにないので認知度が低いように感じられた。直接バスの乗り場へ行って料金を支払うスタイルだ。バスに揺られながら旅を思い出していた。イーストは既に昨夜帰宅している。ウエストとノヴァ兎はエティハド航空で今日の午後に帰ってくる。おそらくアブダビの空港ゲートで再会し、トルクメで別れた後の話をしたことだろう。今回のトルクメニスタン、短期旅行では手配旅行という形になってしまうので、いつものように完全に自由に動けはしなかったが、その分詳しく現地のことを知ることができたし、割と自主性を尊重してくれる扱いだったので、自由時間には好きなように動けたし、満足はしている。むしろオレッグ自身が言っていたように一緒に旅をした、というのが適切な表現だろう。そして、2年前と同じく久々のグループ旅行だったが、毎回これでは面白みもないし一人旅ならではの緊張感や楽しみを感じにくいが、定期的にやるのはこれはこれでまた得るものがあるし、メリットも大きいと感じた。特に1人では高額になる“ツアーを組まないと行けない場所”は料金面でも楽しみを分かち合い増幅させるという意味でもまた旅仲間と行きたいものだ。そういった場所が他にどれだけあるだろうか。すぐ思い浮かぶのはタジキスタンのパミール高原&ワハーン回廊だし、実際候補として話題には上がったものの、実現させるのはなかなか難しそうだ。まぁ、次の事はゆっくり考えるとしよう。最後に、今回の旅の総集編ともいうべき動画を作成したので載せておこう。