登場人物紹介
今回はグループ旅行となるので初めに登場人物を紹介する。
ショウ:トルクメニスタン旅行の起案者、事前手配を担当。トルクメではヤンギ・カラとダムラ村の訪問を熱望。
ノヴァ兎:トルクメニスタンメンバー、北朝鮮やブータン等の一風変わった国を好み、旅行してきた。トルクメでは首都アシガバードの風変わりな様子に期待。
イースト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、ウエストとシリアで出会う。トルクメではメルブ遺跡を最も楽しみにしている。
ウエスト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、イーストとシリアで出会う。トルクメではガスクレーターを最も楽しみにしている。
トルクメンバシへ
4/29(火)
この日も朝からの移動だ。フライト時刻は9:00と昨日より1時間遅いが、今夜はトルクメンバシに宿泊するのでチェックアウトする必要がある。もっともトルクメンバシに到着してからは車での移動となるので、大した問題ではない。懸念するとすれば、ロストバゲッジだが、国内線でしかも乗継がないのでまぁ大丈夫だろう。
昨日同様に早起きしてレセプションへ。ランチボックスにしてもらった朝食を受け取り、チェックアウトも済ませる。出発は7時半なのだが、7時にランチボックスを受け取りロビーで食べてしまうことにした。空港で食べるのも可能だし、昨日はそうしたが、ここで食べてしまう方がすっきりする。メニューは昨日と同様サンドイッチと果物だが、今日はそれに加えてケーキが付いている。さすがに昨日の内容では少々可哀想だと考えてくれたのだろうか。
しばらくするとイースト&ウエストも降りてきた。彼らもチェックアウトを済ませ、ランチボックスを受け取る。しばらくするとオレッグとヴォロージャがやってきた。今日からガイドは再びオレッグとなり、以後ずっとアテンドすることになる。ヴォロージャは空港への送迎担当なので、明日トルクメンバシから戻ってくる時にまた会うことになる。
挨拶も早々に、荷物をバンに積んで空港へと移動した。今回のメンバーは皆窓側の席に座るのが好きなようでチェックインの際に窓側をリクエストしていた。が、窓側の席は最後の1席をウエストが取れたが、他のメンバーは止む無く通路側や真ん中席となった。俺は別にそこまで窓側が好きなわけではないが、飛行時間がそんなに長くない日中のフライトであれば窓側の席を選ぶことが多い。逆に夜行便などではトイレに行きやすい通路側の席をリクエストする。日中で1時間程度のフライトである今回は窓側に座りたかったわけだが。
トルクメ国内線に乗るのも2日目なので慣れてきた。昨日同様に前方にはベルディムハメドフ大統領の肖像画が飾られている。2日目で既に慣れたのでトルクメ人にとっては当たり前に感じられるのだろう。通路側の席だったので、フライト中は景色を楽しむこともなく過ごした。
トルクメンバシ空港に到着。ちなみにここは国際空港だったりする。預入れの荷物もすんなりターンテーブルから出てきて一安心した。この後、イーストがトイレに行ってしばらく戻って来ない、というちょっとした出来事があり、他のメンバーは少々心配していた。昨日の遅い昼食で食べた肉料理がこってりすぎたようで、胃にもたれたのだとか。
実は体調が悪かったのはイーストだけではなかった。俺も昨日の朝から風邪をひいていた。理由は明白で、初日の夜にシャワーを浴びた後で暑かったので冷房を点けていたのだが、うっかりしてそのまま寝てしまったのだ。俺は結構喉が弱く、風邪をひいた時は最初に喉に痛みがくる(その後で鼻づまりになったり咳が出たりと風邪が進行する)。昨日の朝に起きた時に喉の痛みを感じたのだ。そしてそれは今日も変わらない。つまり、しばらくは治らないと思われる、少なくともこの旅行中は。熱を出して寝込むような事態を防ぐのが、これから出来る唯一の対症療法であった。
そんな俺の心配をよそに、ヤンギ・カラに出発することとなった。先にホテルにチェックインする選択肢もあったが、ヤンギ・カラまで結構距離があるので先に行ってしまう方が良いだろうという結論に。もう1日、日程に余裕があればヤンギ・カラでキャンプするという選択肢もあったのだ。独特の景観に沈む夕日、あるいは星空とのコンボを見てみたい気もしたが、今回は皆の訪問したい場所を全て周ることを重視した旅程なのだ。ヤンギ・カラからトルクメンバシまで3時間程度はかかる。ヤンギ・カラでキャンプ泊すると、翌日のアシガバード行きフライトに間に合わない。
さて、車はというと、4WDの立派なやつだった。運転手はオレッグの友人だという。これは4WDで行く必要がある悪路だということなのか。車は空港からトルクメンバシ市内を通ってヤンギ・カラへと向かった。進行方向右手にはカスピ海が見える。途中、薬局と小さな売店に寄った。薬局では俺の喉痛用にトローチを購入。売店では昼ごはんに食べる食材を買った。どうやらヤンギ・カラには食べる場所などないらしい。いいじゃないか、秘境っぽくて。俺はトローチで喉の痛みが少し和らいだので助けられた。焼けつくような痛みで喋るのも億劫になっていたのだ。
ヤンギ・カラ渓谷にて
走り出して3時間くらい経っただろうか、辺りは砂漠の風景になっていた。砂漠と言ってもデューンはごく限られている。大部分は荒野だったりするのだ。特にトルクメニスタンはそういう傾向が強いようだ。綺麗な砂丘はほとんど見かけない。そして残念なことにこの日のコンディションは最悪に近いものだった。オレッグも言っていたが風が非常に強く、砂がかなり高い位置にまで巻き上げられてしまい、視界がすこぶる悪かったのだ。事実、車で移動中に外を見たら、砂が川のような流れを作っていた。砂漠は春に気温が上昇し、砂嵐が発生しやすくなるというが、ちょうど同じ原理なのだろう。
ヤンギ・カラ渓谷が遠目に見えてきたが、やはり今日のコンディションは悪い。天気そのものは晴れているのに舞い上がった砂塵によって空が見えないのだ。それどころか前方ですら視界がはっきりしない。とはいえ、近くまで来てみるとある程度ははっきり見えた。もちろん遠方の渓谷はガスっていてうっすらとしか見えないが、近くのそれは一応は見えるのだ。それで良しとするしかない。目的地の選定を行う際、ヤンギ・カラを推したのは俺だったが、希望する者が他にいなかったのは予想外だった。それでも半ばゴリ押しするような形で行程に組み入れさせてもらった。トルクメに来てヤンギ・カラを訪れないのは考えられない、という思いが強かったのだ。
が、蓋を開けてみると他の3人もはしゃいでいる。特にイーストとノヴァ兎は断崖に立っての記念撮影を嬉々として行っている。なんだ、俺が強烈に推さなかったらここに来ることはなかったのに、めっちゃ楽しんでるやん!と漏らさずにはいられなかった。もちろん責めているのではない。自分の見立てが当たったことを喜んでいるのだ。自分が強烈に推した場所で、他のメンバーが仕方なくつきあう、という事態はやはり避けたいので、行ってみたら満足!というのは嬉しいわけだ。もちろん好みも異なる人間がこういう形で旅を共にする以上、全てが自分の望む形にならないのは言うまでもない。が、それでもなるべく楽しんで欲しいというのは人情であろう。
オレッグも言っていた。米国にある本家のグランドキャニオンよりこちらの方が良い、と言う旅行者も多い、と。ただ、やはりトルクメニスタンは旅行者自体が少ないので、ここの知名度はまだまだ低いのだと。ある程度のリップサービスはあるかもしれないが、本家グランドキャニオンより良い、というのは分かる気がした。もっとも本家は訪れたことがないので写真で見ただけなのだが。
ヤンギ・カラでは大きな渓谷を2つほど見て、次の目的地へと移動することに。ここではイスラムの信者が宿泊し、修行できるのだそうだ。キリスト教でいうところの修道院みたいなものだろうか。とはいえ、そこまで堅苦しいものでもなく、旅行者は我々以外にヨーロピアンが何人か来ており、また修行者が食べる食事も我々に振る舞ってくれた。観光としては地味ながら結構好きな場所であった。やはりこういう現地人との交流が好きなのだろう。
小一時間過ごした後、再びトルクメンバシを目指すことに。本日はこのままトルクメンバシに宿泊する。明日のフライトは11時と少々遅いので、今夜はゆっくりできる。トルクメに来てから毎日忙しかったので、今夜はデータをPCに移したり、明日からの2泊3日の電気がない生活に備えて充電をしっかりやっておこう、洗濯もだな・・・などと窓の外の移りゆく景色を眺めながら考えていた。この予定が大幅に変わってしまう事態になることをこの時はまだ予想だにしていなかった。
再びトルクメンバシへ
ヤンギ・カラではしゃいだ疲れからか、トルクメンバシに向かう車の中でいつの間にか眠ってしまっていた。他の3人も眠りに落ちていたようだ。気がついた時には再びカスピ海が見える場所にまで戻ってきていた。即ち、トルクメンバシの街はもうすぐそこだということだ。今日のホテルはhotel Turkmenbashi、街の中心部から少し離れた場所にある、レイクビューのホテルだ。早速チェックインを済ませる一向。ここに来るまでに見た限りではレストランの類は全く見当たらない。ホテルに来るまでに売店に寄ってもらったのだが、そこまで行かないと何もない。車で15分くらいの距離なので、歩くと1時間はかかるだろう。幸いホテルにはレストランが併設されていたので、食事の場所に困ることはないが、値段が少々気がかりだった。だが確認したところ、そんなに高いわけではないようだったので、夕食は併設のレストランで食べることにした。
夕食までの間、各自部屋で休憩することにしたが、イーストのコンデジに異変が生じていた。どうもレンズを保護する部分が開かなくなってしまっていたのだ。当然、写真を撮るとその部分が大きな影となってしまう。これではどんな絶景も台無しだ。原因は、ヤンギ・カラへ向かう途中に売店で休憩したのだが、ここで砂嵐を撮影したことだった。その時は無謀だなと思ったが、後になるとやはり・・・という感想を抱かざるを得ない。カメラは砂に極めて弱いのだ。砂漠が天敵と言っても良いくらいで、砂漠でカメラが壊れた人を今までに幾人も見ている。幸いなことにイーストは予備のカメラを持っていたので、全く写真が撮れなくなる事態は避けられた。さらに、電源のオン/オフなど調整していたら、レンズカバーの部分が開いたのである。今度は逆に閉じなくなってしまったのだが、写真を撮ることに関してはその方が好都合だ。機械いじりの得意なノヴァ兎が応急処置を施し、カバーが再び閉じないようつっかえ棒のようなものを嵌め込んだ。
一段落ついたところで夕飯を食べることにした。時間にして19:30頃だっただろうか。1階に降りてレストランに入るとオレッグとその友人のドライバーがいた。一緒に食べようという話になり、広めの席を用意してもらった。ここで、ロシア流の乾杯の仕方を教えてもらうウエスト。ロシアでは所謂「乾杯」に当たる言葉はない。「我々の健康の為に!」だとかそういった何に乾杯するかをその都度読み上げるのである。よって、オレッグ流の乾杯の挨拶を習ったわけだ。実際、今となっては覚えてはいない。ただ、一般的に乾杯の意味で使われる言葉はある。それが「За здоровье(ザ・ズダローヴィエ)」だ。上で書いた「健康の為に!」という意味なのだが。2つ目として、ガガーリンを例に挙げて別の「乾杯」を教えていたオレッグ。朧気ながらそのあたりまでの記憶はある。というのも、ウォッカを飲んでいるうちに不覚にも意識を失ってしまったのだ。エレベーターに乗って部屋へ戻っていく場面は覚えているのだが、どうやって食事を終えたか、会計はどうしたか、等の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。