MENU

地獄への入り口

目次

登場人物紹介

今回はグループ旅行となるので初めに登場人物を紹介する。

ショウ:トルクメニスタン旅行の起案者、事前手配を担当。トルクメではヤンギ・カラとダムラ村の訪問を熱望。

ノヴァ兎:トルクメニスタンメンバー、北朝鮮やブータン等の一風変わった国を好み、旅行してきた。トルクメでは首都アシガバードの風変わりな様子に期待。

イースト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、ウエストとシリアで出会う。トルクメではメルブ遺跡を最も楽しみにしている。

ウエスト:トルクメニスタンメンバー、シルクロード好き。4年前、イーストとシリアで出会う。トルクメではガスクレーターを最も楽しみにしている。

三度アシガバード、そして目的地へ

4/30(水)

頭が痛い。芯までガンガン響いてくるような痛みだ。イーストの声が聞こえてきた。

「これから日の出を見に行きますけど、どうします?」

ノヴァ兎の返答も聞こえた。

「あ、行く行く!」

思い出したように付け加えた。

「ショウはどうする?」

とてもじゃないが外を歩く気力はなかった。

「俺は・・・いいや、体調悪い。」

ようやく状況を理解した。俺は意識を失ったんだ。当然のことながら服も着替えずにベッドに寝ていた。あれ?ここは俺たちの部屋じゃない。そう。イースト&ウエストに割り当てられていた部屋だ。なぜこっちの部屋にいるんだろう?全く理解できなかった。分かっているのは、猛烈な二日酔いだということだ。それに加えて、一昨日からの風邪の影響もあってかすこぶる体調が悪い。酷い吐き気と軽い悪寒を感じる。状況が掴めてきたと同時に後悔が襲ってきた。今日から2泊3日でカラクム砂漠編だというのに準備ができていないのだ。特に宿泊する際に電気がない環境に置かれるので、充電やデータのバックアップは万全の状態に整えておきたかったのだ。だが、何もできていない。なんということだ。おまけにこの体調の悪さである。

何とか起き上がって部屋を見渡すと、俺のスイッチパックが置いてあった。荷物・・・運んでくれたのか?とりあえず気力を振り絞り、シャワーだけは浴びることにした。昨日も結構砂まみれになったのだ。今夜と明日の夜もシャワー無しなので、今浴びておくしかない。ヨレヨレの状態で何とかシャワーを済ませたが、気持ち悪さは増すばかりだ。倒れ込むように再びベッドに横たわった。立っているのも厳しい状態なのだ。

しばし休んでいると3人がやってきた。どうやら朝食の時間のようだ。身体を引きずるようにしてレストランに行ったものの、全く食欲が出ない。結局、朝食は飲み物だけ頼んだ。今回のトルクメ滞在ではホテル滞在の朝食を食べられるのは今日だけなのである。その貴重な朝食をきちんと食べられないのは無念の極みだ。座っているのも結構厳しかったので、一足先に部屋に戻って休むことにした。風邪もあるが二日酔いが酷い。だが、それはアルコールが抜ければ快復することを意味していた。ひたすら耐えるしかあるまい。ガスクレーターに到着するまでには良くなっていることを願うばかりだ。

9時にチェックアウトして出発するとのことで、8時半頃には起きてパッキングを開始した。意識を失った昨夜のことが心配だった。というのもイーストが部屋から充電済のカメラのバッテリを持ってきてくれたのだ。こういう時はかえって何か無くしたアイテムがないか気になる。何もしていないのならば、無くなってはいないはずなのだが。こういう時データの入ったメモリを無くすのが最悪だが、充電器なんかも旅中だと結構ダメージが大きい。出発間際であり、体調もパッキング済の荷物を再び解体してチェックする水準に達していなかったので、不安を押し殺してそのまま出発することにした。

荷物をバンに乗せ、座席に乗り込んだ。そして出発。その時、胃液が逆流してきて口腔にまで達した。車内でぶちまけるわけにはいかないので、懸命に口を押さえ、全力で呑み込んだ。しばらくは口の中で酸味が消えなかった。10分ばかり走ったところで車は停車した。第二次大戦後に抑留された日本兵捕虜はここトルクメンバシにも連れてこられていたのだ。市内には日本兵によって建築された建物が幾つかあることは前日にオレッグも話していた。そして車が停車したのは日本人墓地だった。俺は動くのも億劫だったので車内で待機していたが、他の3人が見学してきた。目を瞑って呼吸を整えていたので、正確な時間は分からないが10分程度だっただろうか。

再び空港へと向かう一行。空港までは5分とかからなかった。いつものようにチェックイン。トルクメ入国日から毎日フライトを利用している。よくよく考えれば、この旅が始まってから飛行機に乗っていない日はないのだ。11日の行程で10本のフライトに乗るわけだから、当然と言えば当然だが。今回は窓側の席を取れたので、フライトの間はずっと窓に寄りかかって寝ていた。窓側だが、外の風景を楽しむ余裕など全くなかった。

アシガバードに帰還し、荷物をピックアップすると、見慣れたボロージャの顔を発見した。条件反射と言うべきか、彼の顔を見ると安心するようになっていた。例によって、いつものホテルへ移動。が、今回は宿泊せず、このまま出発するらしい。

この時の時刻は12時20分だったが、ガスクレーターに向けて出発するのは14時30分だとのこと。オレッグは準備をしてくるようだ。必要な機材を揃え、料理人等のスタッフも連れてくるとのこと。よって、出発まではここで待機。他のメンバーはポストカードを購入して手紙を出すようだ。ということでバザールと郵便局へ行くようだが、俺はまだ回復には程遠い体調なので、ロビーで休息していることにした。柔らかいソファーに横になっていると、体調の回復も早くなったのだろうか。他の3人が戻ってくるまでの2時間で随分と身体が楽になった気がした。全身のだるさは残っていたが、吐き気に関してはかなり収まった。3人はバザールを散策してきたようで、それがとても羨ましかったのだが、このような体調なので仕方がない。ちょっとした軽食を買ってきてくれたので、昼食として皆で食べた。一応、食べられる程度には回復してきたのだ。

外に車が3台停まった。オレッグが戻ってきたのだ。予想通り、ここからは2台に分乗して行くとのこと。砂漠地帯なので当然4WDで行くことになるのだが、スタックした時の為になるべく多くの車でチームを編成していくのは常である。俺とウエストはオレッグの運転する車に乗り込んだ。ちなみに残り1台は我々とは別グループなのだが、同じルートで旅をする。前述の理由で一つのチームになって編成するのは砂漠へ行く者にとって基本なのである。どの車にもトラブルが発生する可能性がある。一緒に行動している車が多ければ多いほど相互に助けられるのだ。過酷な環境には相互扶助が欠かせない。さて、今夜はガスクレーターを見て近くでキャンプ泊をする。「地獄の門」あるいは「地獄の扉」とも呼ばれる有名な燃え続けるガスクレーターの他に2つのクレーターも見る。ガスクレーターはダルヴァザという村の付近にあるのだが、このダルヴァザは現在は既に村とは呼べるシロモノではなく、チャイハナが数軒ある程度なのだとか。そして我々はダルヴァザには行かない。ガスクレーター付近でキャンプ泊なので行く必要がないのだ。車があるのでその必要がない。出発した後、俺がまだ体調不良で苦しんでいるのを見たオレッグはおもむろにビールを差し出してきた。なんでもロシアでは二日酔いの時は迎え酒をして治すのだという。さすがに気持ち悪さから回復していなかったので断ったが、執拗に薦めてきたのでウエストに代わりに飲んでもらった。この方法で二日酔いが治るのか、今もって謎である。

途中、2か所で停車した。1ヶ所目は水や食料の買い出しらしい。2か所目はガソリンの給油だ。それ以外はひたすら走っていた。3時間程度走った頃に1つ目のクレーターに到着した。ここは水が溜まっているただのクレーターだ。かつてオマーンで見たシンクホールを思い出すほど、概観は似ていた。水のクレーターである。2つ目のクレーターは天然ガスが出て、それらが燃えていた。底には泥が堆積されており、泥のクレーターと呼ばれている。地獄の門で知られるクレーター程ではないが、こちらも発生している天然ガスが燃えているのに加え、吹き出すガスが奇妙な音を発していて、さながら地獄の入り口といった様相であった。そして、最後に訪れたのが「地獄の門」の異名で知られるガスクレーターである。

到着した時間はまだ明るく、迫力を感じなかったが、淵にまで行くとその熱を感じた。事前に情報を入手していたが、S遊という日本の団体ツアーがやってきていたため、付近には日本語が飛び交っていた。しばらくすると単独で車をチャーターしたと見られる日本人男性もやってきた。この日のガスクレ観光客は日本人だらけなのである。インターネットで秘境や絶景の類を集めたサイトが人気を博すこの時代、それまであまり知られていなかった絶景もあっという間に知れ渡ってしまうのだろうな。そういう意味ではガスクレもまだ旬ではあるかもしれないが、既に知る人ぞ知る場所から定番になったと言っても過言ではない。ちょうど最初のクレーターを見学した頃から二日酔いも収まり、ようやく歩き回れるレベルにまで回復した。とは言え、風邪をひいていることには変わりなかったが。

ガスクレーター泊

ガスクレーターでは日没まで各自思い思いに過ごした。裏手には小高い山があり、俯瞰する形で眺めることができる。山は2つあり、ガスクレから見て右手にある山の方がおすすめである。左手の山からもガスクレは眺められるのだが、角度が良くないのでお奨めしない。このガスクレについて非常にベタな説明をしておくと、ダルヴァザ付近には豊富な天然ガスが埋蔵されており、1971年地質学者によるボーリング調査が行われている最中に天然ガスに満ちた洞窟が発見された。その調査の過程において、採掘作業中に落盤事故が発生し、この巨大な穴が開いてしまったのである。有毒ガスが漏れるのを防ぐ為、火を放ったのだが、それが現在に至るまで燃え続けているのだという。果たしてどれくらいの天然ガスが眠っていて、いつまで燃え続けるのかも判明していない。二代目大統領は現地を視察してこのガスクレーターを埋めるよう指示したと言うが、この穴を埋めるにも莫大な資金が必要となることから現在も実行されていない。ちなみに「地獄の門」という呼称であるが、地元住民が夜に輝くこのクレーターの様子をあたかも地獄への入り口のようだと、そのように呼び始めたと伝えられている。

やがて日が落ちて辺りが暗くなっていくにつれ、クレーターで燃え続ける火が色濃くなっていく。この色の変化を楽しむのが醍醐味と言えるだろう。方角的に西は小高い丘(前述のクレーター付近の山より高い)の沈むのでガスクレと一緒には見られない。日の出は方向としては小高い山からクレーターと一緒に収められるのだが、日が出る時には既に明るくなっておりガスクレの迫力は乏しくなっているのだ。つまり、日の出や日の入があまり絶景度に影響しないと言えるだろう。

小高い山に登って景色を眺めていた時、一人旅の女性がやってきた。彼女はカナダから中央アジアを4週間かけて旅行しているとのことで、ウズベキスタンのウルゲンチからダシュオズへと国境を越えてトルクメに入国したらしい。

注)ウルゲンチはヒヴァ観光の拠点となる街

それからダルヴァザ~アシガバード~マリーと移動し、トルクメナバードからヒヴァへの国境を越え、ウズベキスタンに戻るというルートだそうだ。日程さえ許せばかなり理想的なルートである。ウズベキスタンを周る場合、ブハラの次がヒヴァとなる(あるいは逆)だが、その間にごっそりトルクメを挟み込んでしまうわけだ。もちろんそれは4週間の休暇を取得できるからこそできるわけだが。日が沈んでマジックアワーのひと時を楽しんだ後、辺りが完全に暗くなってきた頃にテントに戻った。ちょうど夕飯もあと少しでできるということなので座って待つことにした。それから10分も経たないうちに食事の準備が完了し、お楽しみの時間が始まった。さすがに酷い二日酔いを経験してしまったので今夜は自制しなければ、と思っていたものの・・・やはり宴会が始まると飲んでしまう、いや飲まされてしまうのであった。恐るべしウォッカ文化!

特にロシア語圏におけるウォッカ飲みはほとんどマナーに等しい。ウォッカを注ぐ仕草を見せられれば、盃、否コップを差し出してしまうのは無理からぬことだった。同行している家族の子供ダヤンチが可愛らしく、途中焚き火をして一緒に遊んだ。国籍も言葉も年齢も全く別だが、こういう場ではそんなものは全く意味をなさない。同じ時に同じ場所にいる、それだけで連帯を感じるには十分であった。この日の夕食はなかなか豪華で、肉を焼いたものとナンを満喫していたら、さらにプロフが出てきた。そうだよ、プロフがなければ始まらない。ラグマンは食べていたが、ここまでプロフは食べていなかったのだ。地獄への扉を横目にプロフを食す、なんという贅沢だろうか。

ここで唯一閉口したのは虫の多さだ。ちょっと目を離すとコップの中は昆虫パラダイスと化していた。長旅の間にも劣悪な環境でお世辞にも衛生的とは言えない料理を食べてきたが、飲み物の中に蛾が大量に浮かんでいるのを見るとさすがに飲む気にはなれなかった。同じく昨夜意識を失ったノヴァ兎は、今夜もウォッカ漬けであった。「楽しい~!」と叫んで眠ってしまった。飲んで寝るというのは彼にとって大切なことなのだろう。宴は確かに楽しいし、長期旅行中であれば俺も満喫していたが、今回のような短期旅行ではその為に観光を犠牲にしてしまうのには抵抗を感じるのだ。まず、観光ありきなのである。ただでさえ、今日はトルクメンバシやアシガバードでの観光を犠牲にして休息する羽目になってしまったのだから。

ということで、寝る前にもう一度ガスクレーターを見に行き、漆黒の闇に浮かぶ地獄への扉を満喫した。ここはやはり闇夜の中で眺めたい景色だ。さすがに炎の明かりが強すぎて星空を一緒に撮るのは難しい。ダルヴァザのチャイハナから歩いて来る旅行者も多いが、暗くなるとガスクレーターの明かりが目印となり、道に迷うといったこともないそうだ。その話にも納得できる明るさだった。それにしてもキャンプ泊はそれだけで楽しい。南部アフリカの時もそうだったが、今回も旅仲間とのグループ旅行。もちろん、個人では高くつく場所を旅行するからこそのグループ旅行であり、本来は皆一人旅をする者達なのだ。それでもやはりグループ旅行の楽しさはある。いや、皆一人で動けるメンバーであるからこそ楽しいのだろう。集団行動に縛られることなく自由に別行動を取れるし、食事時などの誰かと一緒の方が楽しめる時はグループ旅行のメリットを享受できるのだ。深夜までオレッグと飲みに興じていたウエストと飲んでいるうちに眠ってしまったノヴァ兎を残して、イーストと俺はそれぞれのテントで眠りについた。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

目次
閉じる